千葉里山の住宅が完成し、外構工事も概ね終わりを迎えました。
最後に、この住宅の成り立ちについて書こうと思います。
当然建築を設計し、施工する過程で一貫したコンセプトがこれを背骨のように貫くこと、そうした思考の徹底こそが建築をつくる上での醍醐味だと思っているわけですが、ここでは単純にコンセプトを述べるというよりももう少し深度を下げて、「引用」という側面を用いてこの可愛らしくささやかな住宅を紐解いていきたいと考えています。
以下、思考のスイッチを切り替えるために、文体を変えて表記しますことをお許しください。
2020年東京オリンピックのエンブレムが取り下げられた。私は、これについて特に興味を持ってその動向を見守っていたわけではないし、強いていえば創造物のオリジナルということについてどのように考えるか、という点を少し考えていたばかりである。
ただ、この問題を傍観しながら、私は20数年前のあることをぼんやりと思い出していた。
私は、人体デッサンが得意だ。たぶん、美術大学の油絵科や彫刻科の受験を通るぐらいには。とはいえ、実際に油絵や彫刻を専攻しているとてもデッサンの上手な人から見れば、たかが知れた画力であることも承知しているが。
美術大学の建築学科では、1年時に共通絵画という授業があって、そこでは基礎的で実践的な絵画の授業が行われるわけだが、その中で裸婦デッサンがある。美術大学とはいっても建築学科の学生は、建築写生や静物デッサンを主に描いてきたので、人体を描くことがはじめての学生も少なくない。
人体というのは面白くて、とても解剖学的なものだ。骨がどのように組み合わされていて、その上にどういう風に筋肉がのっていて、さらに皮膚がどう覆っているのか。ダビンチやレンブラントの絵画を見てみるといい。マテリアルとして見るだけでは人体の本質はつかめない。
そのような人体をはじめて描く学生の絵は、そう、多くの学生の絵は、人体のかたちを追うことが出来ない。骨の構成を理解していないからである。
これは、見る人が見ればすぐに気付くものである。もちろんこれを評価する講師はすべて承知の上で、基礎造形として学生にこれを学ぶ機会を与えているのであるが。
面白いのは、そのような超越した視点を持ち得ない、つまり多くの建築学科の学生が人体を画布に定着することが出来ない状況において、学生間で不思議な価値基準が設けられていくということである。構図がいいよね、とかタッチが素敵だね、表現が独自だという具合に。
超越した価値が宙づりになった状態で、閉じたコミューンにおける新たな、そして稚拙な価値基準が創造されていくこと。これは一体どのようなことか?
私は何度か構造主義について、特にテクスト論に触れてきた。
テクスト論とは次のようなものだ。
近代形而上学的な考え方からすれば、作品は作家によってつくられた点で創造主の支配下に置かれている。このとき読者は、作者の意図に即して読むことが重要である。しかしテクスト論では、作品を作家から切り離して自立したものとし、その解釈を読み手の側に委ねるというものである。
これは、作者の死と読者の誕生を意味する。こうしたポストモダン的な思考の転換は、一方で作家やこれを取り巻く環境の権威的で特権的な状況を解体することに貢献するが、他方で読者の数だけ価値が存在する点で価値が相対化し、規範的価値や批評が減退する。
先に書いた人体デッサンを通じての学生間の新たな価値の創造とは、つまりそういうものだ。価値が相対化されてしまった果てに、島宇宙化したコミューンの内部でつくられる閉じた新たな価値。その外側に才能と研鑽を積まなければ到達し得ない超越した価値があることを知らないという事実。
私は、こうしたことを書くことでオリンピックのオリジナルエンブレムを擁護しているわけではない。既得権益をむさぼる閉じた権威主義的な構造を解体することには大いに賛成であると思っているからだ。
しかし、こうした議論をする上では、いくらかの注意も必要であろう。まずディレクションとデザインを分けて考えるということ。また盗用と、影響による模倣の許される範囲についても考えること。なによりも、これを語る上で、高次の価値というのが存在していて、それに達していないものとの差異を理解できる目を持つということが重要なことのように思える。
蛇足であるが、今回の騒動で様々な非公式のエンブレムデザインが多数つくられたが、その全てがオリジナルの公式エンブレムのレベルまで達していないように思うし、またそのオリジナルでさえも多大に影響を受けたと思われるヤン・チヒョルトのタイポグラフィーにおよばないとも思えるのである。
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前段が長くなったが、建築家の岸和郎が建築を設計する際に施主に言うことをどこかで読んだことがある。
「あなたには、実現したい住まいの理想があると思います。私は、できるだけそれを叶えられるように設計したいと思います。しかし、それとは全く関係のないところで、私には建築設計の理想とすべき実現したいものが存在してもいます。私にとってこれを実体化することこそが重要なことになります。」
たしかこのような文言だったと記憶するが、これは建築設計者にとって極めて素直な発言であるように思う。建築設計を生業としてこれを突き詰めていくと、技術的な側面やアカデミックな思考、歴史的な知識や建築業界の価値的レギュレーションを身にまとうことになる。少なくとも私は、そうしたものを建築に投入することに面白みを感じているし、創造する建築の価値という点で重要であると考えている。逆に言うのであれば、そのような思考を持ち得ない建築はつまらないものであると言ってもいい。
もちろんこれは、施主要望を実現し、施主が安心して、また豊かに住むことのできる設計と相容れないものではない。これを実現しつつ、できればこうしたものと呼応しながら周到に「建築」的思考を滑り込ませていくことこそ面白いと考えているのである。
価値は相対化している。規範化された価値が無い状況で個別に個の価値に迎合していては、あるレベルを超えていく超越的な価値を獲得することは叶わない。かといって、閉じた権威の範疇において自慰的に作家の理想だけをつくっていてもそこに価値の共感を得ることも難しいのだ。
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さて、上記した内容を踏まえて『千葉里山の住宅』のコンセプトを書くことにする。
はじめに、私の事務所のホームページに載せるために書いたコンセプト、これはまだ書き連ねただけで最終的にまとめたものではないけれど、を下記する。
「 敷地は、千葉県東金市の山深い里山の村落に位置する。敷地東にすぐ山を背負い、山から流れ出る水が敷地地盤下を通っている。水はけの悪い土地。また山に四方を囲まれるため、千葉にあって寒暖の差が激しい。
施主は65歳の娘と89歳の母。核家族といったステレオタイプな家族像からはずれる。歳月を重ねていくことによる身体的変化に対応出来るような機能配慮と、母娘が個として自立し、同時に相互に依存出来るような空間プログラムが必要とされた。
敷地が広く空地を持て余すため、敷地の真ん中に出来るだけ大きく建物を配置することを求められたことから、正方形の平屋をプロットすることとした。人工地盤を地面から1mほど上げて計画し、湿気溜まりである床下、敷地を風通りの良いものとした。これはコンクリートの基礎立ち上げにより分散的に人工地盤を支持し、鉛直荷重のみを外周部の50Φのスチール無垢材が受け持つ。
人工地盤の上部に木造軸組の平屋をのせ、軒の深い方形屋根で覆った。方形屋根は内部においてその勾配により空間決定の要素ともなっており、棟に柱や束を設けずに隅木のみで構造を担保している。
平面計画は、図式的に決定している。中心にリビング・ダイニング、この四周を風車状にふたつの個室、水廻り、玄関土間、インナーテラス、バルコニーがガラス框戸を境界にして配置されている。框戸の開閉で各室はフレキシブルに閉じ、また開く。
視覚的には中央のリビング・ダイニングからガラス越しに周辺部の部屋を通り、開口部を通じて外部環境へ注ぐ。これは一望監視的なものでなく、生活シーンを重ね合わせるモンタージュとして機能する。
外壁面の開口内法高は1800mmであり、この上部から勾配天井が建物中央へ上る。外光は間接光となってこの天井をなぞるように建物中央まで照らす。
形態は、空間は、あるいは視覚は、厳密に幾何学的に決定されている。例えば篠原一男の住宅のように。また、自然(ネイチャー)に対して人工物(カルチャー)を対比的に配置すること、これによるまさに対比的な美をねらってもいる。例えばクリストのアンブレラプロジェクトのように。
この住宅は、村落共同体や家族幻想が解体する過程において、新たなプログラムを用いてそうした解体された家族像を包摂するとともに、施主の記憶の継承として民家というものを再度取り込むことを意図している。」
以上は、正統に端的にこの住宅を説明したものだ。そこには住宅を規範化する設定条件があり、施主の要望があり、設計の思考のプロセスが少なからず盛り込まれている。
しかしもう少し深度を下げて、あるいは抽象度を上げてといってもいいが、この住宅がこのプランになり、このかたちになり、この空間の気積を獲得することになったのか、「引用」というワードを用いて説明してみようと思う。引用、そう、盗用やパクリやオマージュや模倣やそうした言葉がまき散らされている状況における「引用」という言葉。多少アイロニカルなアプローチであるが、敢えて。わざわざ。
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『里山の住宅』の平面計画には、オリジナルがある。私たちが6年前に設計した『モンタージュ』という住宅がそれである。つまり、この住宅は、以前に設計した住宅の引用ということになるが、その成り立ちが異なる点が面白い。
『モンタージュ』は、新興住宅地の周辺環境の今後の変貌に備えて、中心の居間を囲むように外周部に諸室を配置して開口を小さくした、いわば日常生活を担保する鎧のような家だ。これに対し、『里山の住宅』は、豊かな周辺環境に対して開かれるとともに、中心の居間も外周部の諸室とガラスの框戸を境にしてその境界を曖昧にしている。これは、母と娘が自立した生活をおくりながら、相互に適度に干渉し合えるような場をつくるためであり、中央の居間は、個の生活からはみ出した共同体を包摂するものとして機能する。
また『里山の住宅』は、母娘が長年住んできた築200年になる母屋の生活スタイルの引用でもある。簡単に言えば民家の田の字プランを基本としているのだが、これはみかんの皮を剥いたような感じと言えばよいだろうか、中の果実がごろんと出てきて皮が反転してしまったように、田の字が反っくり返って真ん中から空洞のような居間が出てきたイメージ。『モンタージュ』が中心を保護するための鎧としてプランニングされたという意味においてはじめに中心が存在していたと思えば、ずいぶんその成り立ちが異なるといえる。
『里山の住宅』に引用された『モンタージュ』であるが、この居間のプロポーションも実は篠原一男の『白の家』の居間の寸法をトレースしたものである。
方や『里山の住宅』の屋根の構成は、幾何学的に安定した方形であり、隅木のみで自立して棟柱も無いのだが、これもその初期イメージはやはり篠原一男の『から傘の家』に負っている。
空間の気積という側面から見たとき、天井高1800mmからの勾配天井という水平軸と天井の低さを強調したところは、吉村順三や清家清をかなり読み込んで解釈してもいる。
そう、この家は引用だらけの建築だ。
外観について書くことにする。ギリシャのパルテノン神殿は、基壇、列柱、ペディメントの三層構成となっているが、この成り立ちはヨーロッパの美の規範になっているともいえる。例えばル・コルビュジェのサヴォア邸では基壇と列柱が逆転しているものの最上部には障壁が設けられ、三層の構成になっている。意図せず、桂離宮の高床と大きな屋根による三層構成をもって、はたしてブルーノ・タウトが建築的評価を下したと考えられなくもない。
『里山の住宅』は、こうした三層の構成を踏襲している。形骸化しているかどうかはともかくとして、美の体系を引用しているのである。親切にも全身真っ白にして、近代建築をイメージさせることにも抜かりが無い、などと自分で書いていておかしくなってしまうのだが。
最後に、周辺環境におけるこの住宅の存在について触れておく。ここは、里山である。事実美しい自然に囲まれた環境ではあるが、里山とは悠久の時間をかけて人がつくり出したカルチャーと自然(ネイチャー)が奇跡のように溶合った人工環境に違いない。こうした場所を幾らか見てきて思うことは、新興の新しい価値を持ち込もうとしたとき、それらは得てして醜悪な存在として異化されてしまうということである。それでは何もしなければよいか?何もしなければ村落共同体が解体されていくのを同じにしてゆっくりと壊死するばかりだ。
里山をどのように維持し、その環境を守り、継続させていけばいいのかということについては、未だ思考の過程にあるのでここでは言及しないが、少なくともこの場所とこれを取り巻く環境をはじめに見て浮かんだ光景がある。それはクリストが1991年に茨城県で計画したアンブレラプロジェクトだ。つまりは極端な人工物と既存環境との対比にある。対比をもって、見えていた風景を見る対象として意識化すること。この住宅が幾何学的で即物的なアンブレラとしてポンと設置されたときの周辺の里山の風景の美しさを想像したのである。
たしかに、この家は引用だらけの建築だ。
それではここまで書いてきた引用とはなにか?私にとってそれは知的遊戯である以上に、イメージを実体に昇華する段階での触媒であるといえる。それは発想の引き出しを引くための把手のようなものだ。もし引用が引き出しそのものであったら、それは盗用というのかもしれない。いずれにせよ、その把手に手をかけることで引き出しは開けられる。オリジナリティとはその先に存在するはずだ。
つまりは印象主義と表現主義。英語では Impressionismと Expressionism。印象主義は外のものを取り入れること、表現主義は内のものを吐き出すことである。
創造とは、内にいれて吐き出すことの繰り返し、そうね、呼吸のように。