「シン・ウルトラマン」メタ思考的レビュー ちょっぴりネタバレ

こんにちは。

庵野秀明企画・脚本、樋口真嗣監督による「シン・ウルトラマン」が劇場公開されました。僕も早速先週の週末に映画館へ行ってきました。

「ウルトラマン」は、1966年からテレビ放映された巨大変身ヒーローですが、実際の放映を観ていなくてもその名前を知らない方はいらっしゃらないように思います。僕が生まれる前の作品ですので、少年期に再放送を観ていただけですが、それでも今回「シン・ウルトラマン」として初代ウルトラマンが帰ってくることにワクワクしていました。

実際鑑賞してみて、非常に面白かった、というのが僕の感想になります。「シン・ウルトラマン」についてすでに多くのレビューが書かれていますので、気になる方はYouTubeやレビューサイトなど読まれてみてはいかがでしょうか。

僕も感動が冷めないうちに少しだけ本作に触れてみたいと思います。

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まず本作品は、「ウルトラマン」およびその前作にあたる「ウルトラQ」、またウルトラマンの造形を行った彫刻家の成田亮の初期デザインなどの当時の一次テキストにあたる情報をふんだんに盛り込んだ壮大なトレース作品です。

「シン・ウルトラマン」では、「ウルトラマン」の怪獣の着ぐるみとしての造形や予算上の使い回し、当時の特撮技術を現代のCGを使用しながらあえてレトロな表現をするというテクニカルな手法の他、テレビ放映時の30分一話完結を4話分で一つの作品にしていたりと、物語の構成に至るまで徹底した原作へのリスペクトを貫いています。映画「シン・ゴジラ」との並行世界での地続きの演出も見ものの一つですね。

本作は、ウルトラマンが地球にやってくるところから退場するまでの話です。庵野秀明作品では、裏設定や伏線回収というのもファンにとっては楽しみの一つですが、規範となる設定については初代「ウルトラマン」に膨大にストックされている一次テキストが存在していますので、「エヴァンゲリオン」なんかとはまた違った作品の読解ができて、作品に厚みが増していると思います。

さて本作では、ウルトラマンである主人公神永新二がクロード・レヴィ・ストロース「野生の思考」を読んでいるシーンがあり、これが物語全体を貫く思想的な鍵になっています。これについて少しお話しするとレヴィ・ストロースは、未開人に、近代人の知によって導いた法則だったりが元々そなわっていたことを暴いて、後のポストモダンの扉を開いた構造主義の文化人類学者です。つまり、西欧形而上学的な世界観、咀嚼すれば科学技術を規範にして西欧の人間を中心に据えたトップダウンの世界観を覆して、多様な価値を肯定するまさにポストモダンという現代社会を開示したんですね。

「シン・ウルトラマン」に話を戻すと、本編では外星人であるウルトラマン、ザラブ、メフィラスが地球にやってきます。どの外星人も地球人と比較して高度な知能、文明を有しており、上位存在として野蛮で原始的な地球人に接触します。ザラブは、地球人を滅ぼすことを、メフィラスは地球人を生物兵器(奴隷)として利用することを、ウルトラマンの故郷である光の星からはゾーフィが宇宙秩序を保つために太陽系を殲滅することを目的として来るのです。そんな中、意図せず地球人と融合してしまったウルトラマンは、地球人を学ぶことでレヴィ・ストロースの思考にあるようなポストモダン的な多様な「存在」の価値の肯定へと傾倒していきます。つまり本作は、外星人を上位存在として位置づけることで、未開の地球人の「存在」を問うてもいるのです。

初代「ウルトラマン」から続くウルトラマンシリーズでは、勧善懲悪の物語ではなく、社会情勢なども盛り込んだメッセージ性の強い話も多くあり、本作でも「ウルトラマン」を貫く思想的背景も見事にトレースしたのだと思います。

とはいえ、こうした思想が本編のメインテーマであったり、啓蒙的な作品を目指したというわけではなくて、むしろそうした作品思想をトレースすることで、初めて「ウルトラマン」を描くに至ると考えるべきではないでしょうか。

初見でウルトラマンに触れる方にとっても作品世界への導入という意味でも良くできていると思います。僕は、庵野作品て今までの映画とは異なる見方、楽しみ方を発明したんだと思っています。作品が独特の作りなので、最初は戸惑うこともあるかもしれませんが、純粋に娯楽として楽しむのが最上の作品との関わり方であるように思います。個人的にはウルトラマンの飛行シーンなどのフィギュアを吊るした特撮の再現がまさにツボでした。非常に楽しい作品でした。