こんにちは。
6月に入って最初の土曜日に、湯浅政明監督のアニメーション映画「犬王」を鑑賞してきました。この映画は、製作陣、キャストとも豪華で、脚本に野木亜紀子、キャラクター原案を松本大洋、音楽を大友良英、アヴちゃん、森山未来などが声優を担当し、サイエンスSARUが制作を務めました。
室町時代、平家の呪いによって異形に産まれたダンサー(能楽師)である犬王と盲目となったミュージシャン(琵琶法師)である友魚(友有)が稀代のポップスターへと成り上がっていくというお話です。
平家の呪いに触れたことで異形のものとなった犬王と盲目になった友魚(友有)は、平家物語を斬新な表現で披露します。それは滅亡した平家の亡霊への弔いでもあり、亡霊の成仏によって犬王は人間の肢体を獲得していくという現代版どろろともいえるミュージカル映画です。
平家、犬王、友魚(友有)は、それぞれ世に捨てられた人々であり、当時の被差別者でもあることから、彼らが魂を通わせながら当代きってのエンターテイナーへと成長していく様は痛快です。ストーリーも作画も音楽も非常にハイレベルなものであり、完成度の高い作品だと思います。その独特の世界観や作画の特徴によって観る人を選ぶ作品かもしれませんが、僕はとても楽しく鑑賞することができました。
本作は、テーマ性の厚みもあって、エンディングは特に僕が気に入った部分になります。それは、「人間になった」犬王が何を捨てたのか、そして「人間であり続けた」友魚(友有)が何を失ったのかということです。このラストは、哲学的でさえあります。
総じてとても素晴らしい映画であるとともに、僕も非常に楽しく作品世界を堪能しました。唯一こうして欲しかったなという点を挙げるとしたら、犬王と友魚(友有)による劇中劇は、その内容が作品世界をある部分でかたちづくっていると思われるのですが、音楽にのせて文語調の歌詞であるためかその内容を解釈しにくかったことを残念に思います。字幕表記やタイポロージーとして作品に入れ込むなどしていただけたら、僕の作品の理解もより深まったように思います。ただ、原作を読んでいれば事前に歌詞の内容を知ることはできるようなので、映画の鑑賞前に原作を読んでおくというのも手かもしれません。また、既にサウンドトラックが販売されていますので、これを聴いて予習しておくというのもよろしいかと思います。
映画作品としての僕の感想は以上になりますが、何かを作り上げるということについて、少しだけ思うことがあったので、ここに記しておこうと思います。
表現作品というものは、どのようなものであれ、そのテーマやアプローチ、表現手法の卓越した知であったり技術によりあるレベルを超えることは間違い無いと思います。その上で、それでも頭で考えたものや高度な技術を超えていく、なんというか創造の核のようなもの、あるいは思考からはみ出していくオーラのようなものが存在しないと、見るものの魂を揺さぶるには及ばないということです。それを僕は言語化できないのですが、でもそうしたものは存在するように思います。
建築を設計していて、頭で考えたものが全てにおいて整合をとるような、ある意味「完璧な」作品というのは、実はつまらないものが多いんですね。逆に設計者の意図したものと別のものが作品に内在していて、できたものに対して設計者が新たに気付くような不確定性のようなものが建築に含まれているような作品というのは、良いなあと思うことが多いように思います。それは極端な話、仮に思考や技術が稚拙であっても、そうしたものが作品にあることで傑作にもなることがあるのです。これは非常に言葉にしづらいのですが、しかしそういうものが確かにあるということです。
さて「犬王」ですが、少々頭で考えたことが先行しているのではないか、完璧に近いかたちで隙無く武装された作品であるからこそ、魂を揺さぶるほどには感情移入できなかったというのが正直な感想でもあります。でもこれは言葉にできない部分を語っているものですので、観る人によって捉え方、感じ方も異なるかと思います。あくまで僕はそのように感じたに過ぎません。