スタジオジブリ制作、宮崎吾朗監督による劇場版アニメ作品。
2011年公開。
原作は、高橋千鶴(作画)・佐山哲郎(原作)による1980年『なかよし』(講談社)連載の同名漫画。
港南学園高等部に通う女子高校生「海」と同校新聞部部長「俊」の恋愛物語です。文化部部室棟「カルチェラタン」の保存運動を軸に物語が構成されています。
僕はこの映画を「普遍世界を外に開く」ということから論じてみたいと思います。
「カルチェラタン」は、そこを使用する学生にとってかけがえのない存在です。しかし、学校や他の学生からみれば、そこでなにが行われているのか分からない不気味な存在でもあります。
どうやら閉じたコミューンは、居心地の良さと引き換えに外の世界をシャットアウトして、時に排他的に振る舞う(あるいはそのようにみえる)ようです。
また、保存か取り壊しかといった選択を迫られる場合、「中庸」は、もはや役に立ちません。誰もが「あえて」「ベタに」決断主義的に極論へと行き着いてしまいます。
こうした閉塞と断絶を打破したのが、「海」の提案した「大掃除をする」です。これは、愛する「カルチェラタン」をいかに大切にしているか、目に見えるかたちで外の世界の人たちに訴えることができます。また、使用者のみならずボランティーアの学生たちもこの建物に愛着を持ち、交流をとおして一体感を育んでいきます。
これは、第三の選択肢であり、「普遍世界を外に開く」ひとつの方法として大いに学ぶべきものだと思います。
もうひとつ、外の世界からやってきた主人公が触媒となって世界を開いていくというのは、他のスタジオジブリ作品に共通することですが、これについては別の機会に。