ワークショップコレクション2013 竹シェルター

慶応大学日吉キャンパスで開催されたワークショップコレクションレポートの後編です。

ここでは、武蔵野美術大学建築学科3年生の有志による竹シェルターをご紹介します。

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今日2013年3月11日、東日本大震災からちょうど2年が刻まれた。多くの方の命が犠牲になった。ご冥福をお祈りする。そして、未だ多くの避難された方が、仮設住宅で暮らしている。壊滅的な打撃を受けた街は、インフラは、産業は、時を止めたままのものも多いだろう。福島第一原発事故後の処理、放射能による汚染、風評被害、エネルギー問題の今後、この国は、そして僕らは、様々なレベルで多くの、実に多くの問題について考え続けなければならない。

    

僕は、前回のワークショップコレクション2013レポートで、「リスク社会」について触れた。

これは、価値が相対化されてしまった社会だ。絶対的な真理、正義、心を委ねる対象が本質的にあるかどうかは定かでない、けれど実存のレベルで確信を持てるのが、近代社会である。法の真理、教育の真理、医学の真理については分からないが、裁判官の下した判決は、先生の言うことは、医者の治療は絶対であって、信頼できる、というように。しかし、リスク社会では、実存に関しても不確実である。

もはや僕らを導いてくれる存在などいない。いや、不信感さえ持ちうる。

そうした時、僕らは自己選択・自己決定を迫られる。

問題について最良解はない、というより誰も分からない場合、結果に対して明確な確信を持ち得ないからこそ、人は効果の最大値化された両極端な結論を決定することを迫られる。

学芸会でクラスの女の子全員が白雪姫になる、公園から遊具が全て撤去される、照明が暗いという理由で訴訟になったので省エネ照明を過剰に設置する。

インフォームド・コンセントの徹底とは、サービスの受給者の自己決定の義務化である。

自由の義務化、そう、僕らは、自由が規範化されてしまった社会で、自由をうまく使えていない。

    

だから考えろ、考えろ、議論しろ、発信しろ。膨大な量の誤読と誤訳を乗り越えて、その先にあるかもしれない共有すべき価値ある何かのために。

だから僕は、アジカンの『ランドマーク』を聞く。

だから僕は、こどものためのワークショップを紹介する。

だから僕は、ものをつくることをあきらめない。

だから僕は、福島第一原発事故後のエネルギーについてNHKスペシャルを観る。

みんな地続きだからだ。

 

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竹シェルターは、武蔵野美術大学建築学科3年生前期の選択による課題のひとつ、『自然素材を用いて空間を創造しなさい』の成果物である。竹の簡単なジョイントによる仮設テントの構造モデル。災害時利用を想定したもので、女性が短時間で組み立てられる。

課題の終了後も彼女達は、竹シェルターの普及を真剣に考え、行動に移している。今回、ワークショップコレクション2013の「こどもだけのMUSEUM by CANVAS×深沢アート研究所」とのコラボレーションによる展示もその一環だ。

僕は、彼女達を応援する。応援する意味で、思うことをこの場で書かせてもらう。

まずパンフレットについて。竹シェルターの設計図を盛り込んでほしい。設計図がメインになるように。設計図は、はじめて見た人でも分かるように絵にすること。写真は、余計な情報が入るため、絵でなければいけない。

竹シェルターを災害時利用させるならば、竹の備蓄についても考えたい。学校ごとに等、備蓄地域の最小単位を設定したい。材料の調達と保管、修繕は、各単位ごとで全てまかなえるようにもしたい。

市区町村との連携を図れればよいのだが。

材料である竹についても検討が必要だ。長さ、太さ、半割にした方がよいか、等。備蓄を前提に普及を考えるのであれば、そもそも竹である必要があるのか。

備蓄を想定しないやり方だってある。小さな地域単位で竹を植えるのだ。そういうインフラづくりだってできるはずだ。

シェルターとして機能させるためには、他にも材料や道具を厳選しなければならない。ジョイントする紐について、雨風をしのぐ膜について、地面に敷くものについて。また、急場しのぎのものから、ある期間をある程度快適に過ごすことができるまで、スペックのバリエーションも提示したいところだ。

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今日中に書かなければと、かなり強引な文章になってしまったけれど。

がんばれ!僕たち!