村上春樹が「世界文学に連なる鉱脈」に突きあたったことについて

村上春樹は、文章を書くことを、自分の内側に潜っていくことだと、『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』(2010 文芸春秋)に書いています。これについて、内田樹が『街場の文体論』(2012 ミシマ社)で触れています。

 

 

 

村上春樹は、この「自分の内側に潜っていく」ことを「鉱脈」という言い方で表現したり、「暗闇」、「井戸」、「地下室」という比喩を使ったりするそうです。

内田樹は、同書でこう表現しています。

『自分の内側に深く深く降りてゆくと、固有名の存在なんか呑み込んでしまう、滔々たるマグマの流れのようなところにたどりつく。そこはもう人間の理性や感情が通用しないところなんです。でも、人間はそこから生まれてきた。人間性のいちばん根本のところには、万物が生成するマグマが蠢いている。それに触れる。「地獄巡り」に似た経験だと思います。ずっと地中深くまで降りていって、そのどろどろしたマグマに触れて、また戻ってくる。行ったきりではダメなんです。小説家というのは、そういう異界とか、暗がりとか、地下の洞窟のようなところに降りていって、この世にあらぬものに触れて、目で見て、耳で聞いて、臭いをかいで、そこに人間的意味を超えたものがあることを経験して、また戻ってくるのが仕事です。この「行って、帰ってくる」というところに作家の技術と才能はあると僕は思います。

村上さんはそのマグマのある場所のことを「地下室の下にある地下室」と呼んでいます。』 

村上春樹は、『羊をめぐる冒険』(1982 『群像』8月号)を書き上げたときにも「鉱脈」という比喩を使っています。この小説は、氏の第一作『風の歌を聴け』(1979 『群像』6月号)、第二作『1973年のピンボール』((1980 『群像』3月号)に次ぐ三作目になりますが、最初の二作については、作家が英訳を許可していないということです。

   

   

続けて、内田樹の文章を引用します。

『一作目と二作目を書いているとき、村上さんはジャズバーを経営していたから、夜中の十一時か十二時頃、お客さんが帰って、店を片付けてから、台所の机に向かって夜が明けるまで小説を書いた。だから書き方が断片的なんです。短い断章が重なっていて、物語が横に横に滑っていく。すごくおもしろい小説ではあるんですが、垂直方向への深みには欠けている。それがジャズバーをやめて、作家専業になって、千葉の田舎にこもって、毎日何時間も、誰にも会わずに集中して何ヶ月も書くようになると、突然、垂直方向に潜りだした。そして「鉱脈」に当たった。』

内田樹は、この「鉱脈」に当たったというのを「文学的伝統」の継承者になった、と書いています。

どういうことでしょう。

書いていたときには気づかなかったけれど、この作品には、先行する文学的伝統の作品が存在していた、というのです。

その作品とは、レイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』(1953)です。

村上春樹の『羊をめぐる冒険』に登場する主人公「僕」とその親友「鼠」の関係について、また物語そのものについて、『ロング・グッドバイ』との同一性を内田樹は、次のように書いています。

『テリーと「鼠」は主人公の一種の「アルター・エゴ」、もう一人の自分です。「分身」なんです。イノセントで、脆くて、純粋で、邪悪で、弱い。そのような自分の「分身」と過ごす時間は主人公に深い喜びをもたらす。でも、不意に、そのアルター・エゴとの決定的な離別の日が来る。「分身」は理由も告げず、行き先も教えずに、突然消え去る。そして主人公は、その消えた分身から最後に託された「責務」を果たすために、不思議な冒険に踏み込んでいく・・・・・・どちらも「そういう話」です。

-中略-

(この両作品に通じるのは)「少年期(アドレッセンス)との決別」という主題だろうと思っています。

-中略-

この「大人に脱皮することの苦しみ」を癒やし、支援するために、太古から人類は「アドレッセンスの喪失の物語」をくりかえし語ってきた。僕はそうなんだろうと思います。「今の君の苦しみは、すべての先人が通過した、そういう類的な苦しみなんだよ」ということを聴き知らされて、少年の傷はすこしだけ耐えやすいものになる。たぶん、そういう人類学的な仕掛けなんじゃないでしょうか。』

この「アドレッセンスの喪失の物語」の繰り返しについて、内田樹は、『ロング・グッドバイ』に先行する作品としてスコット・フィッツジェラルドの『ザ・グレード・ギャッツビー』(1925)を、これにまた先行する作品としてアラン・フルニエの『ル・グラン・モーヌ』(1919)を挙げています。

さらに内田樹を引用します。

『文学的系譜の滔々たる流れに村上さんは「穴を掘っている」うちに、ある日突き当たった。「鉱脈」という言葉は、地下深くにあって、いつできたのか、どこまで続くのか、どれほどの埋蔵量をもつのか、わからないものについてしか使いませんから。そのときに村上さんは作家というのは「自分の足元に、自分のつるはしを使って掘っているうちに『誰の物でもない流れ』に行き当たるもの」のことだということを確信した。そういうことだと思います。』

  

 

僕は前回「現代建築を例に挙げれば、楕円が多用されるほどにレム・コールハースの、アーチ状の窓が多用されれば塚本義晴の、切妻屋根の家型が使用されればヘルツォーク&ド・ムーロンの建築が強化される、ということがおこり得るのだと思います。」と書きました。

しかし、もしかしたらこの言い方は、違うかもしれない、と思うようになりました。

ヘルツォーク&ド・ムーロンが、切妻屋根の家型を発明した訳ではありません。彼らは、それを使用しただけです。すこし考えただけでもマルク・アントワーヌ・ロジエの『原始の小屋』を、古代ギリシャ『パルテノン神殿』の三角破風を思い出すことができるのです。

そもそも家型は、ずっと昔からだれもが用いてきたものです。けれどこの「誰の物でもない流れ」の「鉱脈」を「発見」(あえて発見と言いますが)した時、その根源的ともいえる「発見」したものをピュアなかたちで用いた時、そこで爆発的な拡散がおこる、ということがあるのではないでしょうか。

 

もしそうであるなら、このことを僕は、「データベース消費」というところから読み解く術を今のところ持ち得ません。

そもそも「データベース消費」が成立している世界とは異なるレイヤーが存在するのかもしれません。そう、たぶんそれは、あるのだと思います。

坂口恭平著『独立国家のつくりかた』(2012 講談社現代新書)で語られる、現代社会の消費動向とレイヤーを異にする(彼はレイヤーという言葉を使っています)路上生活者の社会の成り立ちから着想を得た創造力について。ジャック・マイヨールのように潜水ともいうべき創作をやめない現代アーティストのいくらかについて、考える必要があるように思います。