先日、大学院時代の後輩でもある、建築家の瀬山君と夕食を一緒しました。
そこで彼が話してくれたポストモダン論ともいうべきおもしろ話をご紹介します。
半年ぶりに再会して、駅のすぐそばに古くから残る、戦後のバラックがそのまま残ったような、ごちゃごちゃの飲屋街へ移動。その一軒に入る。
他に客はまだいない。座敷に上がり、ビールの中ジョッキを頼む。卵焼きなどを食べつつ、話は進んでゆく。ビールの中ジョッキをおかわりして、もう一度おかわりしたころには雑談のノリが良くなってきた。
瀬「ロックの超定番アルバムに、ローリングストーンズの68年のアルバムで『Beggars Banquet』っていうのがあるんですけど、知ってます?」
小「知らない。」
瀬「恥ずかしながら、俺もこれ最近になって初めて聴いたんですよ。で、聴いてみたらなんかものすごい新鮮というか、まるで2013年に発売された新譜のように聴こえて。逆に、去年のチャートで話題になってた最近のロックバンドのアルバムを聴いてみたら、妙に古くさく感じたりして。」
小「(笑)うん。」
瀬「なんというか、現代って、ロックにとって「新しさ」って考え方が、すっかり相対化されてしまってるように感じるんですよね。ツタヤとかに行くと、もう定番からなにから全部並んでるし、そのフラットに並んでるものの中から、今も昔も関係なくチョイスして聴く感じが。」
小「うんうん。」
瀬「さらに言うと、この実感ってiTunesで音楽を聴きだしてから強まってきてるんですよね。だから「リスニング環境のポストモダン化」が徹底してきてると言えるのかもしれないんだけど。」
小「なるほど。」
瀬「自宅にあるCDを取り込んでiPhoneに転送して聴いてる程度だった頃は、自分にとってiTunesは「単に便利な再生装置」程度の認識でしかなかったんですよね。それが秘めてる、恐るべきポテンシャルに気がつかなかったというか。」
小「笑」
瀬「ところが、レンタルCDをばんばんリッピングしたり、友人から借りた音源を取り込んだりして、自分でもそのライブラリの全貌を把握できなくなってきたあたり、具体的には2万曲を超えたくらい(笑)から、このフラット性がどんどん前面に出てきたというか...。」
小「ああ。」
瀬「自分のiTunesなんだけど、もう一生聴かないであろう曲が大半を占めてたりするわけです。でも別に物理的な場所を占有したりしないから、データを捨てたりもしないんだよね。とにかく石も玉もすべてがいっしょくたになってそこに入ってる。で、そうなったときに、なにかこう、昔みたいにCDを購入して家で聴くってこととは全く異なることが起こってるなという実感が沸いてきたというか。」
小「データベースってことだね。」
イカげそをつつきながらビールを飲む。
瀬「あとね、最近子どもが寝る前に、絵本を読んで聞かせてたりするんだけど。そこで読んであげてる本が、自分が子どもの頃読んでもらった本と同じなんです。」
小「うん。」
瀬「「ぐりとぐら」とか。「おばけのバーバパパ」とか(笑)。こういう、定番となってる絵本があって、だいたい60〜70年代くらいに出そろってるんですよ。こういう本は、うちの親父の子供の頃にはなかったわけです。ところが、自分の子どもの世代に向けては、古くならずに残っている。」
小「なるほど。」
瀬「この状況をですね「インフラが整った」って言ってみたらどうかと思うんです。」
小「うまいこというね(笑)。」
瀬「で、インフラが整ってしまってからも、作家はものを作り続けなければならないわけで、その難しさは絵本作家でも、ミュージシャンでも、建築家でも同じだと思うんですけど。」
小「痛いとこつくね(笑)。」
インフラが整備されずに取り残されて久しいドヤ街の飲み屋で、ポストモダンについての数時間のはなしです。
以上原文は僕によるものですが、瀬山君に加筆修正をお願いしたところ、ほぼ瀬山君の文章になりました。大変面白くなりましたので、そのままUPしております。