評価の境界線を越えていけ

2013年3月3日ひな祭りの日に、原宿のDESIGN・FESTA・GALLERYで開催中の『'ケンチクカ'のおもちゃ箱』展に行ってきました。

湘南美術学院建築科に在籍していた、現在はそれぞれの大学で建築を学ぶ9名の学生のグループ展です。

'ケンチクカ'のおもちゃ箱 展

「湘南美術学院・建築科で学んだ9名それぞれに進んだ道の先で考える

     'ケンチクカ'にできること/ケンチクを通して今 思うこと」

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建築以外の表現、たとえば絵画、彫刻、プロダクトデザイン、音楽、またはそれに類するもの。どれもさほど大きくない。小さな作品が並ぶ。

「おもちゃ箱」。そう、個々の作品はそれぞれが自立していて、そうしたものがばらばらのまま集合している。ここは、「おもちゃ箱」展であって、「おもちゃ」展ではない。朝を待つおもちゃ達の呼吸だけが聞こえてくるような、そんな静かな場所である。

ひとつひとつの作品に対峙する。

取り込んでは、吐き出すリズム。

すってー、はいてー、すってー、はいてー、すってー、はいてー。

作品と、その奥に見え隠れする作家の呼吸に耳を澄ます。時に呼吸を合わせることを試みるが、同調するのは難しい。けれど、彼らの呼吸のとても小さな音色は、心地いい。

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彼らは普段、学校の課題に追われ、評価の場にさらされている。悩み、傷つき、焦り、失望し、それでもつくることをあきらめないで、楽しみ、喜びを爆発させる。

学生は、そして僕らは、つまり作り手は、時に評価の境界線を勝手につくってしまう。評価の最低線を引いて、それよりずっと頑張ったのだから、ユーモアを盛り込めたのだからと、この線をどれだけ超えられたかを推し量り、このくらいの毒なら怒らせないだろうと評価の安全線をまた引く。つまり評価者の顔色をうかがってものをつくる。

でも、もうそれはやめよう。それは創造の反対側を向いているから。

この展覧会は、そうしたことを教えてくれる。彼らの呼吸は、とても繊細ではかなげだ。けれどそのひと呼吸ひと呼吸は、着実に続いていく。それは、取り込んでは、吐き出すリズム。

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ちょーイカしたバッジを購入しました。

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大学退官の最後の半年間の「言葉」の授業をまとめた傑作。

ものづくりをする学生に読んでほしい、内田樹著『街場の文体論』(2012 ミシマ社)