千葉里山の住宅6 -モンタージュ2- 今日は現場監督のお話

2015年6月16日(火)曇りときどき晴れ、湿気を含んだ重い空気が身体にまとわりつきます。時折さす陽の光が夏の到来を感じさせる中、千葉里山の住宅の現場定例に行ってきました。

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外回りでは軒の天井が張られました。外部建具の上端に揃えて、グッとプロポーションが引き締まりました。

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内部では下地の壁が張られています。一部では部屋を仕切るための建具の鴨居も取り付けられ、住まいらしさが増してもきました。

今回は、少し現場監督のお話をします。

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おやつにドーナツをほおばっている写真の方が、このお家の現場監督兼大工の仲佐さん。仲佐さんは大工ですが、一時期今は無き屋代工務店の現場監督をされていて、有名建築家の数々の建築を担当されていました。僕の実家も屋代時代の仲佐さんに監督していただきました。

今は千葉の大原で「仲佐建築工房」を立ち上げ、現場監督として、また時には大工として建築に携わっておられます。僕らが千葉に事務所を構えた時、マンションの一室を改装してもくださいました。

かれこれ10年のお付き合い。設計者にうるさくて、声の大きな監督です。

そう、本当にうるさい。

僕たち意匠設計者に対して、忌憚ない、といえば聞こえがいいですが、歯に衣着せない物言いをガンガン浴びせてきます。

「こんなんじゃ俺らできねえっすよ」「今は綺麗かも知んねえけど、すぐだめになりますよ」「できるんならやりてえけど、木は言うこと聞いてくんねえっすよ」「俺垂木に友達いねえっすから」

もうね、怒声に近い。そんな現場監督、嫌じゃないかって声が聞こえてきそうですが、僕らにとってはかけがえのない存在なんです。つまり信頼のおける人。

仲佐さんは、多くの有名建築家と言われる人の現場を担当してきました。その多くは「現場の声を聞く必要はない、設計図書通りにつくればいい」というスタンスです。仲佐さんは現場監督としてこれらを設計図書通りにつくってきました。そしてどうなったか。

建具は暴れる、漏水する、カビが生える、建物として使えなくなる等々。

竣工当時の華々しく専門誌に掲載された建築のその後をずっと見守り、問題に向き合ってきた人なのです。それから、仲佐さんは大工として培ってきた知識と経験から、木材の習性を熟知しています。だから問題を事前に察知する能力に長けてもいるんですね。

僕ら意匠設計者と大工は同じフィールドにいながら、学んできたもの、目指すもの、経験と知識が決定的に異なります。僕らは、お施主さんの要望を反映しながら住まい方の多様性を肯定し、図面化し、提案します。これはプログラムを読み解き、空間に反映するとともに、建具や家具、細かなディティールにいたるまで、これを実現するために設計の徹底を行なっていくことに価値を見いだします。

大工は、長年培われた木に対する知識とこれを加工する技術をもって、木の習性を利用しながら長年住まい続けられる家をつくることを目的としています。

設計が優先すべきことが、必ずしも大工のセオリーに即しているわけではありませんから、そうしたときに相互に衝突が起きます。

僕はこの衝突を重要視しています。なぜ出来ないのか、長期間耐えられないのか、問題が発生しそうなのか、そうしたことを知り、長年お施主さんが快適に住める環境づくりを学びから実戦へ移行するいい機会だからです。

また大工さんにとってもこうした衝突はいいものだと思っています。知識と経験を規範にしながら新たなものへ挑戦することが出来るからです。構造、工法から部材にいたるまで日進月歩、次の想像力を担う施工者であってほしいという願いがあります。

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仲佐さんは、リスクを事前に察知して、僕らに逐一言ってくれます。だからここから「ではどうすればいいか」がはじまる。そして仲佐さんは、僕らの提案や解決のための話し合いを決して面倒くさがらず、最後までつきあってくれます。僕らも仲佐さんの意見を無視したりしない。それは仲佐さんが現場監督として、大工として正しいことを言ってくれていると思っているからです。

双方の考えのぶつかり合い、それは決して仲良しの穏やかなものではないですし、どちらかといえば喧嘩しているように見えるかもしれません。でもね、そのぶつかり合いこそが、家づくりを都度ジャンプさせてもくれるのです。

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最後に。

僕らも施工者もリスクは小さい方がいいし、ずっとこれからの長い時間をお施主さんに快適に住んでもらえるような家づくりを目指してもいます。

しかし、昨今クレーム産業と言われるように、建築業界もまたリスク社会の一端を担っているのも事実です。けれど住宅は工業製品ではなく、ハウスメーカーの住宅でさえ人がつくる一品生産品に変わりはないのです。材料は経年変化や劣化もするし、壁紙は切れ、無垢フローリングは隙間があき、外壁にはクラックが入ることもあるのです。こうした問題は小さい方がいいかもしれませんが、誤解を恐れずに言うならば、けれど目くじらを立てるようなことでもないような気がします。

僕が危惧しているのは、リスク回避を徹底するがあまり、住宅設計施工がマニュアル化し、方法としてのシステム化が推進していくことです。システムが強化されるとはどういうことか。それはつまり、システムの内部において差別化が図られるということです。これは画一化されたものの中で選択肢が与えれているだけであって、決して多様性とは言わないんですね。

これから増々多様な家族形態や住まい方の多様性が求められるようになると思います。そうしたときにこれを包摂する入れ物としての建築の自由を奪ってはいけない。僕はそのように思います。