ポストモダン建築の平行言語3 -「引用」を用いた建築の歴史との対話-

少し間が空いてしまいましたが、「建築は歴史を内包し、それを日常に現在させている」事実、「死者たちの不滅性の中に身を置くことの重要性」を紐解くための第三回になります。

前回までは、建築と「引用」、あるいは建築における「引用」についてポストモダン建築の成り立ちと視覚言語における引用、その伝播の過程について記述してきました。

今回は、ポストモダン建築の視覚言語からこぼれ落ちた言語体系に踏み込みます。

それはポストモダンの平行(パラレル)言語であり、死者たちの不滅性に身を置きつつ、もうひとつの未来への接続の方法ともなり得るものと確信しています。

Radiohead『Kid A』を聴いていると、いつも『海辺のカフカ』を思い出す。

『海辺のカフカ』とは、2002年に出版された村上春樹の長編小説であるが、その中で主人公のカフカ少年が『Kid A』を聴く一節がある。飛ばし読みしてしまうような些細なことではあるのだが、Radioheadが奏でる静寂の中に均衡を保つか保てないかの不安定さ、一本のロープの上でバランスをとる危うさのような感覚が、カフカ少年の心理を代弁しているように感じるのだ。私は、『Kid A』を聴くたびにカフカ少年に寄り添い、時に重合する。

『海辺のカフカ』は、父を殺し、母と交わるオイディプスの神話や、源氏物語などの日本の古典文学を下敷きに物語が作られている。また、ひとつの物語が分裂し平行しながら(一方は現実を、他方は非現実を引き受ける)、最終的に双方は溶け合って混じり合う。

村上春樹は、極めて理知的な作家である。氏の小説の魅力に言葉の選択や、洒脱な文体、グロテスクで官能的なSEXや暴力の描写を挙げることも出来るであろうが、しかしその本質は、こうした視覚情報の中にはない。

『海辺のカフカ』には、他にも「カフカ」の名が示す通り、カフカ『城』のような不穏さと絶望的な迷宮が用意されているし、少年からの羽化という視点を用いるならフィッツジェラルドのような作家の影響も当然ながらみられる。

氏の小説の魅力とは、過去の多くの作家やその作品を下敷きにして幾重にも重ねることでフレーム化される、強靭な背骨にあるのではないか。これはつまり「死者たちの不滅性に身を置く」ことに違いない。それは、過去の作家のストーリーや文体を用いることでは決してない。下敷きとされるものもまた、作品の背骨のようなものなのだ。

こうした作品をフレーム化するための背骨をつくること、またその背骨そのものを、ここでは「構造」と呼ぶことにする。

   

 

建築において視覚言語をデータベース化して、そこからお気に入りの要素を抽出して建築化する手法、これはポストモダン状況が進行する世界で加速度的に流布され、結果短命なファッションとしての建築を量産するに至る。ここでは、こうした視覚情報からこぼれ落ちたもの、データベース化されにくい要素を拾い上げることで、いかにして建築を「構造」化すべきかを考える。

 

ル・コルビュジェが提唱した「近代建築の五原則」は、ピロティ、屋上庭園、自由な平面、自由な立面、水平連続窓を指すが、これは視覚言語ではなく、近代建築を「構造」化するルールである。

レム・コールハースの『タラヴァ邸』や入江経一の『Bean House』は、いずれも「近代建築の五原則」を用いて設計されている。では、これらの住宅はコルビュジェの『サヴォア邸』に似ているだろうか。答えは否である。

『タラヴァ邸』は、むしろ近代建築へのアイロニーのような住宅だ。斜めに倒れ、カラフルに塗られた柱、均衡を欠いたプロポーション、工業製品をキッチュなものとして張り巡らせた外装、敷地形状を利用した風景式庭園のようなプロムナードなど。かたや『Bean House』は、平行するチューブが立体化されることでそこに生じる隙間が空間化されることに意識を注いでいる。外壁は波打ち、ファサードはぼってりとした不格好な塊が宙に浮いている。

つまりは、先人たちが残した遺産には、視覚言語に改修されないものが存在する。こうした視覚言語に頼らない要素を引用したとして、要素のコラージュなどにはならずに作家の作家性を確保し、またそれは、作品を作る過程における最初のフレーム、つまりは「構造」を担保するに過ぎないのである。けれどしかしその「構造」は、建築全体を貫き、不動のものとして存在させる強さをも保証している。

 

レム・コールハースの作品を用いてもう少し例を挙げよう。

オランダに『クンストハル』という収蔵作品を持たない美術館がある。この美術館は、斜路(斜面)を多用することで、立体的に各室をつなぐと同時に、各室間の分節をもこれが担っている。この斜路は、美術館単体で機能するばかりでなく、公園と道路を結び、アウトバーンを跨いでもいる。収蔵作品を持たないことも含め、この美術館は、交通のジャンクションとして機能しているのだが、これはもちろんル・コルビュジェの斜路と建築的プロムナードの発展による空間創造の発明である。

『フランス国立図書館』のコンペ案では、閉架書庫で埋め尽くされたキューブ(ヴォリューム)の中に卵形やチューブ上の開架書庫(ヴォイド)が内包されている。このヴォリュームとヴォイドの空間的反転という発明もまた、ル・コルビュジェの建築を丹念に追っていくと理解が出来る。1920年代のコルビュジェの建築では、形態と一致した居室空間に内包されるように動線が存在するが、1950年代以降は、建築全体まで肥大化した動線の内部に特定の部屋がヴォリュームとして視覚化されるという反転へと至る。これの更なる反転が『フランス国立図書館』へとジャンプするのである。

 

こうした建築的発明は、数こそ多くはないが、幾らかの建築に見ることが出来る。

妹島和世の『再春館製薬女子寮』は、監獄の平面計画に似ているという理由で一部非難されもしたが、このレトリックは正しくない。ここでは、パノプティックな建築計画を空間的に引き延ばすと個人の自由を獲得するという思考の反転こそが建築的発明になるのである。

外装材や形態や色や窓などを取り除いてしまってなお、その建築に語るべき要素が残っているであろうか。つまりは、視覚言語を傍らに置いておいて建築を語ることが可能であるか。

それこそが建築が「構造」を持ち得るかということである。

 

私たちは、無の中から何かを発明し、無から有を実現するように建築を設計している訳ではない。

「建築は歴史を内包し、それを日常に現在させている。」のであり、そうした日常において、私たちは建築を、否建築に至る「構造」を発見し、継承し、発展させていくのではないか。

それは「見えているものを見る」のではない。その建築に存在する「構造」を探り当てる行為こそが、「死者たちの不滅性に身を置きつつ、もうひとつの未来への接続」へと通ずるのだと確信する。

 

最後に、私たちの設計した『モンタージュ2』に触れて、3回におよんだこの記述を閉じたいと思う。

かつて私たちは、『モンタージュ』という住宅を設計した。様々な部屋が風車のようにまわりながら中央の広間と接続する住宅である。この広間の空間プロポーションは、篠原一男の『白の家』の居間から引用している。この住宅の平面プログラムに氏の居間を投入することで、建築が息をし始めたのだ。そしてこの平面計画は、配置をそのままに母娘二人のための里山の住宅『モンタージュ2』に転用される。前者が込み入った住宅地に配置されるために、広間へ如何に開かくかを検討した求心プランであったのに対し、後者は広間から里山の風景へと遠心性を持って広がっていく。

こうして建築は、歴史性を無効化して相対化するのではなく、歴史性に敬意を持って同時存在させていくのである。そしてそうした思考こそが、未来へ接続する建築のひとつの在り方だと言っておこう。

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