立て続けにブログ更新です。
前回は、僕が東京造形大学の室内建築専攻領域で教えている「建築CAD」という授業の、そのさわりを記述しました。CADを使うことは道具を使うことに過ぎない、これを用いて建築製図が出来るようになること、そして建築製図の作図技術を用いて自身の設計を実現できることが目的なのだと書きました。
では、実際にどのような授業を行っているのか、詳細を記したいと思います。
はじめに、ベクターワークスのシステムとファイルのセッティングを終えた学生に、簡単な操作とショートカットキーの使い方を教えていきます。でもこれで学生がすぐに線を引けるようになるわけではありません。ここまでが初回の授業内容。
次に三面図を教えます。三面図とは、立体を水平平面上においた時に上から、正面から、真横から見える二次元の見えがかりを描く作図法です。例えば、立方体は、どの三面を見ても正方形になる、というものです。この作図法、建築図面のベースになるものです。ですからここでは、三次元立体を平面に分解して見る、描くことを繰り返しながら、二次元表記に慣れさせることを意図しています。決して難しい立体を描くわけではありませんが、正四面体という正三角形4面からなる立体を三面図で描こうとすると、学生はもう混乱してしまいます。つまり見えがかりを見る、実際の寸法を知る、三面図のルールにおいてこれを表現することを学ばせるわけです。
機転の効く学生は、三平方の定理を用いて計算をはじめます。作図があっていても間違っていても、僕は学生に一通り描かせて、「そうだね、そういうこと。でもさ、計算で割り出した数値だと近似値でしか作図できないね。」なんてことを言って、CADのこのツールを使ってこう描くと、簡単に書けちゃうよねって最後にネタばらしをするんです。
大切なのは、CADの操作を学ばせながら、意識を別のこと、ここでいえば三面図をどう描くか、に集中させることです。
三回目の授業では、Google mapを用いてスクリーンショットを教えこれをトレースして地図を作製します。地図といっても100m四方の街区程度ですが。それが終わった学生には、駅から自宅までの案内図をグラフィカルに描かせます。
これはもうじゃんじゃん描くことで、CADに慣れさせることを狙っているんですが、一方で「グラフィカルな」という条件を与えることで、目的をCADの操作とは別のところに設定するんですね。そうすると、こういう風に表現するにはどうしたらいいかって考え出すんです。面白いですね。
ここまでくると学生もCADのツールの操作にだいぶ慣れてきますので、4回目以降の授業では、やっと建築図面の作図に入っていきます。4回目は、架空の敷地図を三斜法を用いて描き、この敷地図を用いて5回目から8回目の授業まで、僕が設計したこれまた架空の住宅の1階平面図をトレースしていきます。でもこの図面、1/50の平面詳細図なんです。もちろん作図の手順を4回分に分解しますが、寸法も細かくうたっていますので、なかなか骨の折れる作業になります。CAD操作について、僕は一通りの説明をしますが、操作上の問題は学生個人によるものなので、都度一対一で対応していきます。
それで、ここで僕が学生に最も時間を割いて教えるのは、図面についてです。線種、太さの違いはなぜあるのか。外部サッシが躯体にどのように取り付くとこういう図になるのか。建具の厚さはどれくらいか、衛生設備機器や家具の寸法はどれくらいなのか、という具合に。つまり、もうCADを学ぶ授業ではなくなっていて、建築製図を学生は修得しているんですね。CAD操作を学ぶということを学生に忘れさせること、毎回の授業の目的を別のところへジャンプさせることが大切なんです。1階平面詳細図が描き終わるころには、ほとんどの学生がなんなくCADを使えるようになっています。
さてさて、9回目以降の授業では、先週までに描いた1階平面詳細図をもとにして、学生各人の采配で好きなように2階平面図、立面図、断面図を描いていきます。ここへきて、学生はトレースから「表現」へと思考を切り替えることになります。そして、ここでもう一回、学生に挫折を味合わせるのです。怖いですね。
どういうことかというと、学生に好きなように2階平面図を描かせながらも、常に1階平面図の縛りがあることが大切なんですね。「ちゃんと1階平面図を理解して描いたのか」ということを学生に問うわけです。
そうすると、まんまと、そうまさに「まんまと」学生は引っかかってくれるわけです。通り芯の不整合、上れない階段や階段自体のズレ、中庭の上に居室をつくって中庭を屋内にしてしまう等など。これが立面図、断面図になると、自分で設計したものなのに不整合の嵐、なんて学生も現れてくるので、僕もどこがどのように間違うとこうなるのかを見抜かなくてはならなくなり、僕自身が鍛え直されるという事態にも発展します。でも、こうした失敗が、学生にもう一度図面を読み込むことを教えるのです。ですからこの過程を省略することは出来ないんですね。
そんなこんなの全14回の授業の最後は、学生の作図した図面の講評会で締めくくられます。
あれ、CADの操作はどこへ行った?
そうなんです、CADの操作は既に自明のものであり、いつの間にかほとんど全ての学生が一定以上の操作を習得しているんです。
CADは、ツールに過ぎないですから。
もちろんこの授業では、敷地をどう読み、建築にテーマやコンセプトを与え、思考し、デザインするというようなことを盛り込むことは出来ません。設計の授業ではないので。しかし、見ていると思っていたものが実はぼんやり見えていただけであって、もう一度見方を学び、積極的に見ることで表現へとジャンプしていくそのベースを担うことは、少しは出来るのではないかと思っています。
表現とは、天才でない限り比較においてしか成立し得ないものです。比較するためには正しい目を持たなくてはなりません。それを獲得しない限り、人体デッサンの骨格の歪みに気付くことが出来ず、良い写真と悪い写真の構図を判断できず、建築作品の規範となるフレームを理解することが出来ないのです。
ですから、2DCADの授業でもここまでのこと教えられますよってことで、学生諸君、残り1ヶ月、ガンバ。