僕は東京造形大学でなにを教えているか1

僕は、入門書が好きです。

「何々入門」とか「はじめての何々」とか、そういう書籍を見かけるとつい買ってしまいます。

また、専門書よりも新書が好きです。

「入門」というと、なんだか専門分野についてそのうわべをすくって薄く伸ばしたようで、実は何も分からないのではないか、とか、誰もが理解できる文章と内容で、読み応えに欠けるのではないか、とかつい想像してしまいますが、決してそんなことはありません。

専門性を追求していくと、その名において分類化され、狭義の項目に特化し、領域を狭めても行くものです。僕は建築設計を生業にしていますが、そもそも建築の設計は、例えば一方で技術的な専門性を探求することが必要ですが、構造や設備、その他諸々の事柄に対して俯瞰的な視野を要するものでもあります。こうした、見ている、あるいは自身が立っている階層を上げて思考すること、これをメタレベルといいますが、そうした抽象度を上げてものを見たり考えたりすることは、とても重要なことなんです。

また、長年建築とつきあっていると、建築の生まれる背景、それを一言で時代性と言ってしまっても良いのですが、そうしたものを知ろうともしてしまうわけです。時代的背景を知ろうとすると、どうしても思想や哲学だったり、ハイカルチャーやサブカルチャーといったものに触れる必要が出てきます。

つまり、見る世界を狭めるのではなく、広げて領域横断的に、俯瞰的に思考する癖をつける必要があるので、そうした点で「入門書」は、とても便利なんですね。

もちろん、いきなり分からないままに専門領域の門を叩いてみるのも一つの手です。「分からない」を分からないままに探求し続けるといつの間にか分かってくることもあるからです。でもそれは入門書だって同じことです。入門書は、誰もが分かるように書かれていると思ったら大間違いです。例えば「現代思想入門」なるものが存在していたとして、これを読解するのは容易なことではありません。先にも記したように入門書の多くは、思考の階層を上げて、俯瞰的に総括しているだけであって、その分野を易しく解説してくれるものではないのです。

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なぜこんなことを書いているのかというと、僕は現在、大学や専門学校で建築を教えているのですが、全ての授業について、僕は学生にはじめての体験をさせる、はじめての知識を伝授しているんだなあと改めて思うからです。つまりは繰り返し学生を「入門」させているんですね。それはあるときは方法であり、知識であり、またあるときは思考であったりするわけですが、今回は、東京造形大学で僕が受け持っている授業について、少し書いてみたいと思います。

僕が東京造形大学で担当している授業は、「建築CAD」です。室内建築学科2年生を対象に、ベクターワークスというCADを使えるようにして、二次元製図が出来るようになることが目的になります。学生がコンピュータ上で、製図のソフトを使えるようになることを教えるわけですね。

授業目的はそんなところなんですが、実際にはCADを使うというのは、建築なりインテリアなりを設計するための手段でしかないわけです。大工さんがお家を建てるために鉋を使えるようになることと同じです。ですから僕ははじめに学生にこう言います。

「CADのプロになるのが目的では無いんだよ。道具に過ぎないから。使えるようになればいいだけ。だから使うものだけ覚えれば良いし、自然に手が動くようになって成果品である図面を苦もなく描ける手を磨くことが大切。」って。

はじめ「コンピュータ苦手なのにCADなんて難しいこと覚えなきゃいけない」と構えていた学生は、だんだん「なんだ、料理のために包丁の使い方を覚えれば良いんだ」って割と軽く考えるようになるんですね。これが重要。

いきなりハードル下げたところで、ベクターワークスのシステムとファイルのセッティングを学生にさせます。でもこれも僕が「ここのチェックは外しておいてね」とかなんとか言う通りにルーティンな作業をさせるだけなので、何も問題ありません。

ここで僕はまた一言。

「はい、大工さんが使う鉋が磨げました。大工さんが鉋を磨ぐ技術を習得するのは大変ですけど、CADのセッティングは簡単だね。ここからが本題。大工さんが鉋を使えるのと同じように、君たちがベクターワークスを使えるようしますからね。」

さてさて、ここからベクターワークスを使って、最終的には建築の製図、平面図と立面図、断面図を描けるようにしていくわけですが、ちょっと文章が長くなってしまったので、この続きは次回に。

でもこの授業、ベクターワークスを使えるようになるのが目的ではなくて「CADを使って建築製図が出来るようになる」ことが目的なので、ここからが教える側の僕の能力が試されることになるわけです。でもね、30人の受講生がすべて2DCADを使えるようになるのは、なかなか感動するものなんです。少なくても9割の学生はその後、恒常的にCADを道具として使用することになるんですから。

もっと言ってしまうと、「CADを使って建築製図が出来るようになる」ことすら手段でしかなくて、「CADを使った建築製図技術を用いて各自の設計表現が出来る」までを射程に入れています。僕らは時々目的と手段を取り違えてしまいます。これを明確にしてあげると、学生が今学んでいることが何なのかを理解できるんですね。

導入みたいなブログになっちゃいましたが、何かしら書けているかしら。

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