埼玉県深谷の住宅8 -マテリアルについて-

埼玉県深谷の住宅も8月の完成が見えてきました。

未決定部分も概ねつぶせました。施工図、制作図のチェックも終わりました。こちらで指定したものが廃番になっていたりしてちょっとショックもありつつ、代替えの製品も決定に至りました。

廃番製品というのは照明器具なんですが、どのメーカーもLED照明に積極的にシフトしているため、白熱灯の器具がどんどん廃番になっているんです。僕の事務所では、その存在を消すほどの小さなダウンライトを使用していました。且つハロゲンより安価で長寿命ということでR50クリプトン球を使えるENDO照明のED-3333WBは、欠かせない存在だったんですが・・・残念です。

今回は、代替え品として、オーデリックのOD 361 061を選定しました。LED照明は、白熱灯に比べて輝度が高い印象があり、多少刺々しい光の印象になるため、僕たちは積極的に使わなかったのですが、もちろん省電力高寿命という良い部分もあります。今回、照度はほぼ同じに見ているため、出来上がったら照明による印象の違いも確認したいと思っています。

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さて今回は、マテリアル、素材についてお話しします。

僕たちの設計は、もともとマテリアルを重視していなかったんです。それは少し言い方が違うかな。そうではなくて空間を優先するにあたってマテリアルを消していくという手法を選択していました。素材感が勝ってくると建築の物質性へと意識がシフトしてしまうように感じたからなんですね。

けれど最近の僕たちは、少しずつ考えが変わってきています。それは、空間を優先することに違いはないのですが、空間そのものについてはマテリアルを消しながらも、フレームとしての空間と家具の間、中間スケールにマテリアルを強調するというやり方です。つまり建築による空間フレームよりは小さくて、家具よりは大きいもの、オブジェクトであり同時に空間を構成し得るものについて、例えば階段など、生の素材感を用いるというものです。

ここでは、次のことを意図しています。建築を体験することはスケールを横断することでもあり、そうしたスケールの流動性を強調すること。そのためにマテリアルを消す操作と対比的に、これに粗野な素材をぶつけることで空間性を獲得することです。

マテリアルのためのマテリアル、という考え方を僕たちはしません。上記したように存在を消すことの対比として素材を強調することに主眼が置かれているため、マテリアルは、粗野で乱暴な質感の方が良いと思っています。それは、マテリアルを追求すると、物質性への嗜好が高まり、引いては建築を表層やしつらえ、作法のようなものとして捉えてしまうような気がしてしまうからです。

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ですから深谷の住宅でも、素材の持つ質感が出る部分については、現場に対して多くを語らず、ざっくりとしたものにしてくださいなんてお願いしたものだから、監督さんも困ったとおっしゃっていました。

キッチンの上部に板金で垂れ壁をつくってるんですが、鏡面のようには仕上がらなかったと監督さんが申し訳無さそうに話されました。いやいや、これで良いんですよ、素材が素材の特性を保持した状態でできていることが大切ですと。

化粧の梁型をラワンでお願いします、できるだけ粗い目のものにしてくださいとお願いしたら、監督の岡田さんと深谷さんで、合板200枚見てくださって選んだんだとか。すみません、それは僕の仕事です。でも、それでいいんです。僕が見たら、見たなりに色や目をなんだかんだと選んでいたでしょうが、そこに作為性が介入するに違いないので、そうしない方が良いんです。

つまりは、僕たちの設計する建築におけるマテリアルとは、空間の優位性を強調するために存在するものであって、素材嗜好、物質嗜好ではないということですね。

これを書いていて、ちょっと思い出したことは、ルネサンスの天才彫刻家であるミケランジェロとバロックのやはりミケランジェロに匹敵すると評価を受けているベルニーニの彫刻の対比です。ミケランジェロの彫刻が解剖学的に捉えられたものであり、大理石はあくまで彫刻のための素材であるのに対して、ベルニーニの彫刻は、人体の視覚的表層の忠実性を追求していくことで、素材であるはずの大理石がぬめりと表に出てくる。つまりはマテリアルが前へと押し出されているんですね。

もしかしたらこの例えは少し違うかなとも思いますし、希代の彫刻家を持ち出すのもおこがましくもあるのですが、僕たちはまあミケランジェロのようでありたいということです。

さて、来週は完成前の概ね仕上がった状態の現場を訪問します。どうなっているのか、僕たちも大変楽しみにしています。

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