みなさま、あけましておめでとうございます。
2017年が、僕たちの事務所にとっても、みなさまにとっても良い年になりますようお祈り申し上げます。
さて、昨年2016年の12月28日(水)、藤沢のあおいけあ小規模多機能型居宅介護施設「おとなりさん」の現場定例会議がありました。
現場は、すでに上棟しており、大工さんが忙しく工事を進めてくださっていました。当日は、現場監督の中西さんと大工さんと一緒に各所をまわり、納まりについて打合せを行ないました。ほぼ総二階建ての建築ではありますが、屋根の勾配や床スラブの高低差、金物の取付位置や各所の取合いなど複雑な部分が多く、ああだこうだと熱の入ったやりとりが交わされました。
明日1月12日(木)は、構造の躯体検査と板金屋さん、設備屋さんとの打合せがあります。工期の短い中での対応になりますが、丁寧に工事の進捗を見守りたいと思っています。
今回は、僕たちが「おとなりさん」の設計に関わることになった経緯を少し書きたいと思います。
うちのボスが最初に勤めていた設計事務所の後輩のM君が「あおいけあ」社長の加藤さんの幼なじみというのがそもそものはじまりになります。M君を介してその事務所のメンバーが「あおいけあ」の「絆(きずな)」、「おたがいさん」を設計しました。そして、今回「おとなりさん」を僕らに任せていただくことになったわけです。
「おとなりさん」は、M君の事務所(当時の設計事務所ではない)で途中まで設計が進められていました。M君が転職するとか、その事務所の事情もあり、正確には僕たちの事務所が設計を引き継いだかたちになります。引き継いだといっても、設計自体は白紙からのスタートとなりましたので、ある程度自由にやらせてもらえました。ただ、施設のプランは、加藤さんとM君の事務所で練り上げたものでしたので、ほぼそのままのかたちで設計に落し込むことになりました。
さて、ある程度プランが確定している、建築は敷地いっぱい容積いっぱに計画され、法規制も厳しい。そうした状況下で僕たちの設計は、僕たちなりのプログラムを提案することが出来るのでしょうか。
結論から申し上げると、僕たちはそれが可能だと思っています。一つには、マテリアルやテクスチュア、視覚デザイン、寸法をコントロールすることですが、ここでは思考の階層を上げて、少し抽象度の高いお話をしてみたいと思います。
トポロジカルな思考をしてみます。これはマグカップとドーナツは、同じかたちであるというものです。つまり形態還元するとふたつは同じ輪っかになるという考え方です。ここでは、踏襲すべきプランを原始的な形態と同じに考えてみる。それが設計を進める中でマグカップになったり、ドーナツになるんですね。
他の例をあげてみましょう。以前SNSで読んだもので、「ある学生が、村上春樹の小説の比喩部分をすべて取り除いて1/3ぐらいの文章にした」という記事を読んだことがあります。この、比喩を全て取り除いたものがストーリーの骨格になるかと思いますが、それは村上春樹の小説ではないわけです。今回の計画で当初あったプラン、そこから骨というべきプランの初源的な要素を取り出したものを、ストーリーの骨格と考えるわけです。そして、そこから肉付けしていく。それは彫塑に似ていて、骨に筋肉をつけて脂肪をのせて、皮で覆うような作業です。
事実、M君の事務所で設計していたものと僕たちの計画した「おとなりさん」は、全く異なる建築になりました。どちらが良い、悪いということではありませんが、ではなぜ僕たちは「僕たちの建築、僕たちのプログラム」にこだわるのでしょうか。それは、僕たちが設計するということ、設計したものが新たな価値を生むものでなければ、僕らでない誰かの設計でいいということになってしまうからです。そしてその価値とは、この建築を利用される方達のためにあります。
今回、僕たちはこの施設を「大きな傘の下に集う家族(共同体)」をイメージしました。一度バラバラになってしまった村落共同体や家族幻想、そうした剥き出しの個人をもう一度「包摂する器」がここにはあります。僕たちは、建築とは、社会的に存在するものだと思っています。