こんにちは。
前回に引き続きアーキヴィジョン広谷スタジオさんが設計監理された「レイモンド下高井戸保育園」の完成写真をお披露目いたします。
今回は、内観。見所がたくさんあるため、写真の枚数も多くなってしまいましたが、最後までご覧いただけましたら幸いです。
また、同園の設計について非常に魅力的に思うところがありますので、これについては最後に一設計者として論を組み立ててみたいと思います。
エントランスホールは、2層吹抜けになっていて、道路に面して大きな開口があります。明るく開放的な導入空間です。開口部からの強い西日を避けるため、テキスタイルデザイン事務所kakapoによるオリジナルプリントのカーテンが下げられています。
エントランス正面の階段を上ると2歳児保育室と、3・4・5歳児保育室があり、1階正面の事務室前を左に折れると0歳児保育室、1歳児保育室があります。
階段を上がると多目的ホールがあります。写真左手奥が3、4、5歳児保育室、手前が2歳児保育室です。
ホールの突き当たりには、水場があります。
ホールに面した2歳児保育室です。
2歳児保育室の大きな開口は、エントランスホールの吹抜けに開いています。
続いて3、4、5歳児保育室です。ホールのような大きな気積の空間を家具類で仕切って使われています。
階段見下ろし、奥がエントランスホールです。
1階エントランス左手の廊下、右手に事務室、左手前が0歳児保育室、突き当たりが1歳児保育室になります。
廊下から0歳児保育室を見通します。「もこもこ」が0歳児のお部屋の名前、この他各部屋ごとに「つんつん」や「もぐもぐ」といった名前が振り当てられています。
最後は1歳児保育室です。
1階廊下の突き当たりを右に曲がった一番奥には調理室があり、ガラス窓越しに園児たちが調理の様子を見ることができます。
いかがでしたでしょうか。1枚の写真からも見て取れるように、細部まで設計の行き届いた非常に完成度の高い建築が成立していることがわかります。同時に写真を連作として見るならば、流動的な空間により全体が統合されているのがお分かりいただけるのではないでしょうか。
前回のブログで僕は、この建築を「内部において共用部が立体的にスパイラル状にヴォイド(チューブ)化していて、そこに保育室が横穴のように付帯してい」ると書きました。これについてもう少し掘り下げて、空間成立についての論を展開してみたいと思います。
設計において、最も初源的に境界を分ける方法は、XY平面上に線を描くというものです。建築を習い始めの学生は、線を引き、線のこちらとあちらを分けることから始めます。線をZ軸方向に引き伸ばせば壁になるので、つまりは壁によって空間を分節することを学ぶわけです。
学生に限らずこの手法は、設計を生業とする多くの設計者が常套的に用いているものですが、境界決定において抽象度を上げるならば、異質の空間気積が隣接することによって境界ができるという思考へとジャンプさせることができます。
具体例を挙げましょう。
ル・コルビュジェの建築を見ると、初期の建築設計は平面上に壁の線を引き、これにより部屋や廊下を作り出しています。しかしある時期から「行為」と「移動」という質の異なる空間が境界規定していきます。行為とは具体的には居室を指し、移動は、エントランスホールや階段、スロープ、廊下のように行為の場をつなぎ、人の動きを誘発する空間です。ガルシュの家、ラ・ロッシュ-ジャンヌレ邸からサヴォア邸まで、行為の場は建築形態と同一であり、この内部において、移動の場が立体的に張り巡らされているのですが、行為の場をボリューム、移動の場をヴォイドと言い換えるならば、形態を形成するボリューム内を蟻の巣のようにヴォイドが縦横無尽に走っているイメージでしょうか。この空間構成が、しかし1950年代から変異していきます。移動の場が行為を取り込みながら膨張し、一方で限定された行為の場が移動の場に浮かぶ島のように配置されていくのです。アーメダバドの製糸業者協会会館やショーダン邸、チャンディガールの議事堂など、形態を担保しているのはブリーズソレイユであり、その内部に行為の場を取り込んだ移動の場、もはやニュートラルともいうべき空間が全体化していて、これに限定された行為の場が島のように浮いているという構成です。つまり、かつてボリューム内部に存在していたヴォイドが、逆転して構成されているのです。ロンシャンの礼拝堂は、この途中過程、移動が行為を取り込みながら肥大していく中で、行為の場の縮小に伴い形態を維持できなくなり外壁は断裂し、限定された行為の場(小聖堂)を囲い込む過程でフリーズしているとも言えるのではないでしょうか。
移動と行為でもボリュームとヴォイドでも良いのですが、異質の空間が境界決定するという思考回路は、線を引いて境界を分けるのとは異なる階層のものです。そしてまた、異質な空間をどのように意味的あるいは機能的に規定してもこの分節方法は有効であり、多様なバリエーションを生むのです。
こうした空間分節方法をコルビュジェから最も正統的に継承している建築家がレム・コールハースだと思います。パリ国立図書館コンペ案の閉架書庫をボリューム、開架書庫をヴォイドと規定した機能分化は、コルビュジェのボリュームとヴォイドにおける意味と視覚造形を反転している点で、非常に知的な操作であるといえます。また、限定された行為空間を最小化して建築深部に隠した上で立体的に斜面を構成し、移動空間のみで全体化した美術館クンスタルなどは、後期コルビュジェ作品のヴォイド化を更に推し進めたものとして捉えることができます。
こうした空間分節の手法は、誰もが行なっているわけではなく、また誰もができるものでもないのですが、例えばこれを非常にロジカルに思考するとピーター・アイゼンマンになり、逆に恣意的、直感的に展開するとスティーブン・ホールになる、空間の質をフラットにしながらその大きさのみを変えて並べると妹島和世になるといった具合に、幾らかの建築作品を読む手がかりとしても機能します。
繰り返しになりますが、こうした思考は空間側からのアプローチであり、卓越した空間センスと知的思考が必要になる点で、限られた建築家のみが行使できるスキルであるわけです。
話をレイモンド下高井戸保育園に戻します。この建築では、共用空間が立体的な螺旋状のヴォイドとしてフレーム化されていて、これに接続する保育室は機能的にこれと分化しながらも、意味的には連続するためにガラスによって分節、視認されています。同時にこのヴォイドを螺旋たらしめるために、いわばヴォイドと共依存の関係にありながらこれを分けフレーム化するために水廻り、事務室、調理室がボリュームとして隠されているのです。つまり、ボリュームとヴォイドという空間の押し引きによって、空間気積がメタレベルでフレーム化されていて、また、機能分化と意味の連続といった空間の宙吊り状態がオブジェクトレベルで体験的に空間を非常に魅力的にもしていると思われます。(こうした思考方法を実体化する上で、図像的にあるいはあまりにもストレートに形態投入してしまうのは、単調で退屈な空間体験になると僕は考えています。)
ここまで書いて、これは僕が建築体験を通して感じた極めて私的な感想であるとともに、設計者が初めから言語的に、ロジカルに計画反映したものかどうかは定かではないと言っておきます。逆にいえば、こうした思考に関する意識の有無は大した問題ではなく、実践的に建築に実体化できる手腕に感動を覚えているわけでもあるのですが。