山本理顕『地域社会圏主義』を考える前段階としてのポストモダン

こんにちは。

いつの間にかもう12月、すっかり冬らしくなりました。

寒い日が続いていて、朝起きるのにもちょっとした勇気が必要ではありますが、ここでの話は、数ヶ月前の9月初旬に戻ります。

 

毎年夏休みの最後に、東京造形大学上田知正教授のゼミでは、ゼミ生を対象に、東京八王子にある大学セミナーハウスで合宿が行われます。

学生各人が、上田先生から与えられた、近代から現代に至る建築思想に関する本の数々を割り振られて、これについての要約を発表します。

建築思想史を俯瞰しながら、それぞれの著書が記された時代的背景とその影響下にある建築の考え方について学べる点で、僕も非常に勉強になります。

例えば、1970年代あたりからポストモダニズムという建築運動が始まりました。(建築におけるポストモダン傾向として、クリストファー・アレグザンダー都市はツリーではない』が記されたのが1965年)モダン(近代)のポスト(次)のイズム(様式)ということですが、その中の一つにバナキュラー(土着的な)建築というのがあります。どうして、近代の次の様式が土着的なものになるのか、疑問に感じられた方もいるのではないでしょうか。僕は学生の頃、どうしてなんだろうと思ったりしましたが、残念ながら教えてくださる方がまわりにはいなかったんですね。いや、いらっしゃったのでしょうが、僕が上手く言葉にできなかったのかもしれません。

 

近代様式というのは、イギリスの産業革命に端を発するテクノロジー、建築においては主に工業技術の躍進によって生まれたものです。鉄やコンクリート、ガラスの精製、加工技術の向上によって、合理的で巨大な建築の建設が可能になりました。そしてそうした建築は、一元的でトップダウンによるシステマティックなものでもあったのです。このトップダウンによるシステムの構築は、GODあるいはその代替え者としての人間(この場合西欧の特定の)を中心とした世界の成り立ちと一致します。こうしたヨーロッパ発信の建築は、具体的な建築のほか、概念として、また思想的に世界中に輸出されていきます。近代建築は、経済的で合理的であり、工業生産品に近い考え方のため流通性がよく、また様々な気候、風土を超越して、均質な住環境を提供できるというものでした。

もちろんこうした近代建築の台頭は、世界的に一定の成功をおさめましたし、現代建築もこの延長にあるわけです。しかし、異なる気候や風土、その土地に住む人の生活習慣やスタイルやそこに宿る知恵、歴史や思想、宗教観などを解体するものでもありました。すでに1950年代には、近代建築様式というのは形骸化したものになっていましたし、1920年代を最盛期として活躍した近代建築の巨匠たちが生み出した建築自体の豊かさに比して、そのシステムの表層をなぞった劣化したコピーともいうべきものになっていましたから、こうしたものを超克したいという考え方の一つの現れとして、土着的なものを認めながらそこに新たな建築的フロンティアを見つけようともしたんだと思います。

 

しかしながらこの説明だけでは、文章を書いている僕自身が納得できないんですね。そもそもポストモダニズム建築って、近代建築と比べても確立した様式がないばかりか、近代建築の比較においてしか論じることができないんですが、でもそれはなぜか。他にもポストモダニズムの考え方としては、過去の如何なる建築の様式の折衷による建築意匠の実現(コーリン・ロウ、クリストファー・アレグザンダー、ロバート・ベンチューリチャールズ・ジェンクスあたり)とか、超計画主義やテクノロジカルユートピア思考(アーキグラム、スーパースタジオあたり)なんかもあって、形骸化した近代建築に対するカウンターという説明だけでは物足りないと思っています。そもそも近代建築の何に対してのカウンターであり、それは何かという問題があります。

 

現代は、ポストモダン状況が進行しているわけですが、これは建築様式に纏わる狭義のポストモダニズムとは分けて考えないといけないんですが、これを簡単に言ってしまえば「西欧形而上学的トップダウン構造(ツリー)の解体」です。

クリストファー・アレグザンダーは、1965年に論文『都市はツリーではない』を発表しています。世界は、一元的なトップダウンによるツリー構造ではなくて、様々な物事が網目状に張り巡らされた関係(セミラチス)によって成り立っていると言っています。つまり、近代的なシステムである「一元的なトップダウンによるツリー構造」を痛烈に批判しているんですね。建築においては、マスターアーキテクチュアが、全ての計画を俯瞰的に一望的に計画するというその行為自体が神の所業であり、超越者による世界の構築となることについて、あるいはそれによる管理の機構の確立や統率された体制、従属性、価値の一方向性や多様な価値の否定という点で批判がなされたわけです。目指したのは、というより進行しているのは「価値の相対化」です。

これについてさらに時代を遡ると、クロード・レヴィ=ストロースという文化人類学者が、1948年に発表した論文『親族の基本構造』で、オーストラリアの未開族であるカリエラ族の婚姻の規則の中に、クラインの四元群と同じ構造があることを見出したんですが、西欧の近代数学、論理学に匹敵する論理を当時西欧の人にとっては「人間」ですらなかった未開族が持ち得ていたという事実を突きつけました。これは、真理は「構造」にあって、ここから構造主義が花開いたり、はたまたこの論理自体が西欧的な価値規範に回収されてしまうというようなその後の哲学的な考えに至ったりもするんですが、何よりも西欧形而上学的な一元化された価値を解体する起爆剤になったのは事実です。

 

例え話が非常に長くなってしまいましたが、要は近代建築の「西欧形而上学的な一元化された価値」を解体していくのがポストモダンであり、1980年代あたりまでの狭義の建築運動をポストモダニズムというわけです。ですから、西欧以外の価値を認める点でバナキュラーな建築を発見したり、様式の相対化という点で過去の様式の折衷が行われたり、これは政治性や思想とも大きくリンクしてきますが、価値を相対化して全てがフラットになった世界をテクノロジーによって補完するようなスーパースタジオが出てきたりするんですね。

 

それで今現在、このポストモダンという状況は進行中です。みんながみんな同じものに価値を見出すわけではないので、趣味は多様化するし、視聴率は下がるし、多様性を受け入れようなんてことになるんですが、価値規範が揺らいだり解体してしまったりするのは建築界隈も同じことで、建築自体についてももちろん言えることではありますが、村社会や家族幻想が解体していたり、地域産業が衰退したり、地方都市や郊外がゴーストタウン化したりして問題にもなっています。

 

さて、価値の相対化と多様な価値を認めることについて、それはもうどんどん進んでいくので止めようもない事実だと思うのですが、そうしたことを全部受け止めるって非常に大変だし、不可能だよね、と個人的に思っています。

構造主義の論客ロラン・バルトが、『テクスト論』で作品を作者の支配下に置かれたものとして読むのではなく、作者から切り離して読みたいように読むべきだと言っています。これも当然ながらトップダウン的な価値の解体を意味しているわけですが、現代では「作品をどのように読んでもいいですよ。あなたの価値判断に傾聴します。けれどそれが正しいかどうかは別の話です。」と僕は、言うように、言えずとも思うようにしています。

 

と、ここからが本題です。ですが、文章が非常に長くなってしまいましたので、次回書くことにします。

何を書こうとしているかと言えば、2013年に山本理顕さんが書かれた『地域社会圏主義』を取り上げてみたいと思います。

この本は、冒頭で書いた東京造形大学の上田ゼミの課題図書の一冊で、内容について僕は否定的な立場をとっていますが、色々な意味で論考してみたいなあと思ったからです。

ここでは一つの理想的な住区のモデルが示されているのですが、今回書いたブログが本書の読解に少なからず役立つように感じています。

 

長文最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

「そんなことわざわざ言われなくても知ってるよ。」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、近現代建築史をどう読めば良いのかわからない学生さんだっていると思うので。四半世紀前の僕のように。

それではまた次回。