『八束はじめを通して綴る戦後日本と建築史』という本をご恵贈いただきました

こんにちは。

3月に入り、寒の緩みと共に様々な花が咲き出しました。春ならではの天候の定まらない日も多いですが、それでも春の訪れは、心躍るものです。

以前僕は、このブログで建築家の山本理顕さんが提唱されている地域社会圏主義について触れましたが、これを読んでくださった千葉の大学で教鞭をとられている金子祐介さんから『Hajime YATSUKA Interviews 2 八束はじめを通して綴る戦後日本と建築史[1968-2002]』という本をご恵贈いただきました。

この本は、八束はじめさんの古希記念に際して、学生時代から大学着任までの出来事について語られた全5回のインタビュー記録で、非売のものです。

僕が地域社会圏主義についてのブログを書いた際、山本理顕さんが携われた熊本アートポリスの保田窪第一団地についても触れたのですが、八束はじめさんは熊本アートポリスに大きく関わられていたこともあり、このあたりについてより具体的な現場でのやり取りが語られたこの本を金子さんがお送りくださったのだと思います。

金子さんは八束はじめさんの研究室出身であり、ライフワークとして多くの建築家にインタビューをされていて、それを文字に起こされると共に書籍などにもされています。僕と金子さんは、ひょんなことから知り合ったのですが、後になって彼は僕の高校の後輩であることもわかり、ご縁を感じる方でもあります。

こんな小さな事務所の、しかもどちらかといえば僕の趣味的なブログに目を通してくださって、とても感謝していますし、この場をお借りしてお礼申し上げます。

そんなことを書いておいてなんですが、この本をお送りいただいたのはもう昨年末になります。結果的にこの本について触れることなくここまできてしまったのは、単に僕がインタビュー記事を読み慣れないこともあって、乱読にとどまっていたからです。金子さんには申し訳ないなと思いながらも、不義理しましたことをお詫びします。

さてこの本、八束はじめさんのインタビューをまとめたものですが、読んでみると非常に面白い。建築に関する情報の多くは、専門誌などを通じて建築自体について書かれているもので、それに至った経緯や計画が進捗する中での人との関わり、様々なやり取りなどについて触れられていません。しかし本書では、学生、建築家、建築史家、思想家としての八束はじめを通して周囲との関わり、考え方や行動について書かれていて、一人の人間史が描かれているのだという、非常に感慨深いものでした。

八束はじめさんは建築界の大家ですが、おこがましくもそれでも僕が悩みながら生きてきた半生に重ねる部分もあり、人間的な魅力を感じると共に、親近感を覚えました。

わざわざご恵贈いただいたこの本を印象のみで終わりにしてしまっては申し訳ないので、4つ目のインタビュー記事である「東京から地方、そして世界へ UPM時代1:建築家としての八束はじめ 熊本アートポリス[1985-91]」の中の、特に熊本アートポリスについて話されている『「コミュニティ」論再考』について少し書いてみたいと思います。

八束はじめさんが師の磯崎新さんの事務所を退所されたのが1984年、その後磯崎新さんに声をかけられ熊本アートポリスに参加されるようになりました。熊本アートポリスが本格的に始動したのは1989年のことだそうです。「熊本らしさ」を強く意識させられるような土地柄において、八束はじめさんは事務局という形で参加されたそうですが、「熊本らしさ」にコミュニティが見え隠れする状況の中で、これに対して違和感を持ちつつ問い直すという関わられ方をされていたようです。

八束はじめさんは、コミュニティについて語る上で山本理顕さんの保田窪第一団地を例に出されています。この計画は、かなり問題になったプロジェクトでしたが、扱うメディアによって全然反応が異なるものでした。地元の新聞は否定しましたが、NHK熊本放送局はこの計画を持ち上げました。こうした言論の二極化を考えた時、アンチを主導していたのは結構強力な四人組の女性で、支持派はたった一人のおばあちゃんだったんだとか。そもそも昭和30年代に建てられた団地の立て直しによって家賃が10倍になったことで、建築の良し悪しに関係なく、コミュニティがあったかなかったかを議論することはできない状況だったようです。

その後、当時京都精華大学の先生になっていた山本理顕さんが同僚だった上野千鶴子さんと組まれて、調査をされたとのことですが、それが以前書いたブログの上野千鶴子さんがおっしゃられていた「ただ私はやはりコミュニティや地域という言葉に対して、とても抵抗があるんです。地域社会圏というのはまさに地域と空間がくっついたものですが、空間の近接性が共同性をつくるという建築家の信念にはどうしてもついていけない(笑)。社会学者の目から見ると、そういうふうには共同性はできあがっていません。保田窪団地で調査しても、同じ階、同じ階段室で共同性なんてできないことが分かった。むしろ有効なのはライフスタイルや価値観の共同性で、選択性が高い。都市社会学には1k㎡生活圏という考え方があります。1k㎡は、徒歩15分、自転車なら5分で行ける距離で、この範囲で生活が完結する傾向があるという意味です。1km×1kmだと100haですね。

中略

私が80年代に行なった千里ニュータウンでの「女縁」の調査では選択縁の規模は5-7人で、その母集団は大体15000人くらいでした。

中略

社会学にはアソシエーションという概念があります。共通の関心や目的などで集まった機能的集団のことですが、居住コミュニティではなく、居住アソシエーションと呼べばいいのではないでしょうか。

シェアハウスが持続するのは、寝るところだけをシェアしていて、あとは一切シェアしていないからです。毎日全員が違うところに出かけて、ほとんど顔を合わせないから成り立つ。一方、昔のムラ型の共同は生業の共同です。抜けるに抜けられないしがらみですが、そういうコミュニティとシェアハウスはまったく違う。」

というお話につながるんだと思います。

ちなみに八束はじめさんは

「僕はコミュニティについて自明のごとく語ることは否定的ですね。空間的な関係というか隣接性が地域の人々に何らかのつながりをもたらしているとは言えるけれど、それをコミュニティという概念で一括りにできるかどうかは疑問。ないというわけじゃなくて、調査などを通して各々の姿を解明すべきものであって、自明なスタート地点として語るべきものとは思えない。地方ならあるというのですらどうかと思う。それに美化すべきものとも思わない。」

とおっしゃっています。

建築家は、何かあれば「つながり」とか「絆」とか言ってしまわないまでも、「コミュニティ」だとか「関係」だとか「文化的背景」なんて言葉を持ち出します。僕は、いつもそういうことを嘘くさいなあと思って眺めているのですが、もちろん空間や生活について建築にできることは多くありますが、できないこともそれ以上にあると思っています。例えば住宅を考える際、リビングを通らないと個室に行けないようなプランを作ると家族の仲はよくなり、成績優秀、品行方正な子供になるといったほとんど都市伝説的な信仰があったりしますが、そんなことには関係なく仲の良い家族はどんな環境に住んでも仲良しです。

専門職として職能が閉塞的になればその内部において、様々なことを判断してしまう、建築を設計している身として、そういう狭義のものの捉え方を出来るだけしないようにと僕は考えています。とはいえ、山本理顕さんがかつて提唱した、社会とダイレクトにつながるのは個人であり、その奥に家族が存在するといったクラスターのダイアグラムなんて、心踊った記憶があります。つまり建築家とは、欲望を肯定し夢を見る存在でもあるわけですが、一方で利己的に強引に人間を操作するようなものとして建築を扱うべきではないと思ってもいるのです。

最後にこの本について、本当にほんのさわりをご紹介することしかできませんでしたが、非常に面白い本でした。さわりになってしまうのは、この本が一冊まるごと「八束はじめ」であるので、要約のしようもなく、また話のクライマックスというものも存在しないからです。つまりは、全編読んでくださいとしか申し上げることができないのです。

この本が非売であることも残念に思いますが、とても貴重な資料を頂戴したことに感謝しますとともに、このようなお心遣いをいただいた金子さんにあらためて御礼申し上げます。