在宅を楽しもう -僕の半径1mをご紹介します-4 『7日間ブックカバーチャレンジまとめ』

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こんにちは。「在宅を楽しもう -僕の半径1mをご紹介します-」の4回目です。

この一週間、Facebookで「7日間ブックカバーチャレンジ」というのをやっていました。山梨で僕の事務所が設計監理した「ウィークリンク」という住宅を施工していただいた丸正渡邊工務所の社長である渡邊 正博さんからバトンをいただき、挑戦したものです。

これは読書文化の普及に貢献する為のチャレンジです。好きな本を1日1冊、7日間投稿。本についての説明は必要なく、表紙画像のみを投稿。更に毎回1人の友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いするというルールです。(招待するかどうかはご自由に)」

僕はどんな本をご紹介できるかな、と少し悩んだのですが、いつもはブログなどでも趣味の投稿が多く、たまには建築を学んだ者として、特に重要だと感じた建築理論書に絞ってみてはどうだろうかと考えました。さらに書籍の系統を絞り込むため、「ポストモダン思考による近代以降の建築の見方」という縛りを自分に課しました。

このチャレンジ、僕は本の要約といいますか簡単な紹介文も記したので、意外に大変でした。せっかく7冊の本をご紹介したのにこのまま終わってしまうのももったいないなと考え、今回、まとめとしてブログでもご紹介したいと思います。

専門書の領域の本になるかと思いますので、なかなか手に取ってみようとは思われないかもしれませんが、アーカイブとして残しておくのも良いことのように思いましたので、ここに再録します。

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1冊目はコーリン・ロウ著『マニエリスムと近代建築』(伊東豊雄、松永安光訳)彰国社、です。

近代建築の巨匠ル・コルビュジェとそれから400年近く前のパラディオがそれぞれ設計したヴィラの類似性について。歴史的断絶とその革新性が語られた近代建築が過去・歴史・引用のメタファーとして存在しているという、1976年らしい、つまりは近代建築が歴史に相対化されて陳列される、その始まりの書。
「理想的ヴィラの数学」、「透明性ー虚と実」はあまりにも有名。

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2冊目は、クリストファー・アレグザンダー著『形の合成に関するノート/都市はツリーではない』(稲葉武司・押野見邦英訳)SD選書。

「都市はツリーではない」は必読の小論文。世界はセミラチスでできているということ。近代主義の西欧形而上学的な思考であるツリーへの批判。
この辺りは、ドゥルーズ、ガタリのリゾームと本文セミラチスの類似性然り、建築に限らず構造主義からポスト構造主義あたりの思想的変遷とガッツリリンクしている。1965年に発表というのがピンポイント。

(写真は、間違えて同じくアレグザンダーの別の本を撮影してしまったものです。)

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3冊目はR・ヴェンチューリ著『建築の多様性と対立性』(伊藤公文訳)SD選書、です。

R・ヴェンチューリによる痛烈な近代建築批判。
近代、言語化されシステム化された形骸化した近代建築とは、整理、分類、細分化と単純化にあり、それはとても退屈である。ヴェンチューリは、複雑な全体の獲得、つまりは多様性と対立性を肯定することによる複雑な統一性を「好み」だと言う。
1966年の書。
レヴィ・ストロースが『親族の基本構造』を完成させたのが1948年。構造主義以降の世界、ポストモダン状況が進む過程で書かれるべくして書かれたものと言えるか。
ポストモダニズム建築の、というよりはポストモダン世界の予見の書。

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4冊目はチャールズ・ジェンクス著『ポスト・モダニズムの建築言語』(竹山実訳)a+u 1978年10月臨時増刊号、です。

ポストモダニズム建築を初めて体系化した本。モダニズムを比較対象にこれを乗り越えるべく新たな建築主義を標榜したのがポストモダニズム建築。だとすれば、権威をドロップしながら価値を相対化して多様性を肯定していく過程がポストモダン状況の進行なのだから、「ポストモダニズム建築の体系化」という形式化自体がそもそもナンセンスなのではないか。ポスト構造主義者による構造主義の批判とは、構造主義の思考自体が西欧形而上学的なフレーム内にあるというもので、なんかそれに近い。「ポストモダン建築のカタログ化」ぐらいなら良かったのに。
因みに同書は絶版、手に入りません。Amazonで1万円越えで腰が砕けたが、南洋堂で5千円くらいで買えてめでたし。

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5冊目は、レム・コールハース著『錯乱のニューヨーク』(鈴木圭介訳)ちくま学芸文庫、です。

レム・コールハースは、最後の預言者である。
建築におけるモダニズムがヨーロッパ発信により啓蒙されていた時代、突然変異として出現したニューヨーク、マンハッタンの都市生成プロセスについて、その欲望の増殖機関として機能するマンハッタンの事実のみを自らの設計根拠として提示、規範化した同書。
例えばエレベーターの「発見」について。パリ国立図書館コンペ案では、閉架書庫のヴォリューム内部に気泡の如く存在する開架書庫をつなぐ。横に倒すとラ・ヴィレット公園のパッサージュとなり、ボルドーの家では異なる三層空間にリフトが接続する。
ル・コルビュジェの設計手法、デザインモチーフは、言語化され流通、消費されたが、レム・コールハースは、その建築言語からこぼれ落ちた要素を掬いあげ、肥大化させる。
僕が最も影響を受けた、そして今も受けている現代建築家。これは最後の予言の書。1978年。

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6冊目は、レム・コールハース著、ブルースマウデザイン、ジェニファーシグラー編集、ハンスヴェルレマン写真『S,M,L,XL』です。

預言者は復活を遂げる。

事務所のインテリアとして、初版本ならではの自慢の一品として、または製本の際の重石として活躍している1370頁を超える大著。1995年。
これを真面目に読んだ人がいるのかと疑ってしまうが、エッセイ部分だけを抜粋した日本語版の文庫『S,M,L,XL+: 現代都市をめぐるエッセイ』 ちくま学芸文庫、も出ている。そちらは300頁。
建築と都市の大きさにまつわる論考、小説であり、学術書ではなく、映画のスクリプト。

一定の大きさを超えると、エレベーターが出現、中身と覆いが解離し、全体の掌握が困難になり、善悪を超えた非道徳の領域に突入するのだという「ビッグネス」。ビッグネスの風景が世界至る所に出現した「ジェネリックシティ」。それは中心もなく歴史のない都市の生成である。
こうした論考は、アカデミズムの外側にあり、匿名性を有し、近代主義を嘲笑いながら、しかし事実として存在するものの非言語性についての言語化であり、コールハースの設計手法の根幹を成す思考でもある。
こうした世界観は、当時、来るべきインターネット世界の予言であり、計画の不可能性を突きつけられた建築家のバイブルである。

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7冊目は、ビアトリス・コロミーナ著『マスメディアとしての近代建築―アドルフ・ロースとル・コルビュジエ』(松畑強訳)鹿島出版会です。

1996年。
アーカイブをため込み、メディアを利用するル・コルビュジェとアーカイブを処分してメディアを拒絶するアドルフ・ロース。この対極的な態度をとる近代建築の2人の巨匠について、広告、写真、映画、雑誌というメディアから近代建築を読む一冊。
メディア論考から近代建築を読む試みとして非常にロジカルであり、このような見方から建築を論じるものとしては最初に挙げられるのが同書である。
個人的に興味の対象を絞り込むならば、ロースの劇場性に対するコルの映画性についてであり、コルについては動く、移動する、シークエンス、見ることと見られることを論じずに、彼の建築は語れないと思っている。つまりは、一望して全体を把握するという建築の理解ではなく、動きながら体験する、部分の連続とこれの脳内での編集作業において建築をフレーム化する作業こそが重要である。
レム・コールハースとAAスクールを通じてのザハ・ハディドの功績は、これにあるといってもよい。

さて、建築を少なからずロジカルに読もうとすれば、ご紹介した7冊は理論書としてはもちろん、建築の意匠の変遷としても、建築を通じて世界の変容を理解するものとしても重要だと思われます。

ここでご紹介した本は、ポストモダン状況の進行にリンクする、建築界の思考の変遷についてまとめられています。近代とは西欧形而上学的なトップダウンによる世界を統一規格するような視点を有しています。これに異を唱えたのがポストモダンの数々の運動であり、建築であれば多様性を肯定し、複雑な網目状の関係において成立する世界を捉えなおし、また近代建築の言語化からこぼれ落ちたものを掬い上げることでもありました。今回ご紹介した7冊は、このようなポストモダン状況の進行に伴う建築的思考を大枠で理解するのに役に立つと思います。

もし、気になるものがあるようでしたら手に取られて読まれてみてください。

このブログを書きながらAmazonをサーフィンしてしまい、関連書籍をまたもやポチってしまいました。本を所有すること、知を探求することへの欲望は、尽きることがないですね。