こんにちは。
新年1月も半ばにさしかかり、だいぶ普段の日常が戻ってきました。とはいっても年末からコロナ禍を取り巻く状況は悪化の一途を辿り、自由な往来や接触を伴う本当の意味での日常を取り戻すのには、まだ時間がかかりそうです。
昨年末、東京でコロナ感染者数が爆発的に増大する少し前になりますが、東京の代々木上原で『ito』という花とアクセサリーを主体としたイベントが開かれました。
主催者は、お花屋さんをされているtomoさんとアクセサリー作家のナオミさんのお二人。『ito』の東京での開催は、今回で9回目になります。
僕は、tomoさんとInstagramを通じてお友達になったのですが、お二人の活動が物販という枠を超えて、もののやりとりを通して感性や相手を愛しむ気持ちを交換していく姿勢に共感したことが大きかったように思います。
いつもtomoさんは、小箱にレイアウトした生花や、ドライフラワー、花器などを出展されています。どれも非常にセンスが良くて、けれどデザイナーやコーディネーターというより、より作家性の強い作品が多く、僕は彼女の感性を魅力的に感じています。
僕が『ito』にお伺いする際は、tomoさんオリジナルの花器と小箱に入った生花をいただきます。今回は、コロナ感染者数が増加していることもあり、また仕事がバタバタしていたこともあって、お伺いすることは叶いませんでした。けれどInstagramを通して出品される幾らかをお譲りいただけるということを知り、tomoさんのギャラリーで紹介されていた花器をいただけないかとご連絡したのでした。
今回譲り受けた花器は、片手に収まる可愛らしい陶器製のもので、鮮やかな紺の釉薬がかかっています。そこに逆数字が、一見ランダムに描かれているというものでした。
この花器は、福岡にある指定福祉障害サービス事業所「工房 陶友」さんで作られたものに、tomoさんのお友達のアーティストであるMERYAさんが逆数字を描かれたとのことです。
「工房 陶友」さんで製作された陶器をもっと広めたいとの思いから、職員の方がInstagramを通じてtomoさんを知り、ご相談されたことがきっかけで実現したものだとお聞きしました。tomoさんやMERYAさんの手を介して完成したこの花器は、垢抜けて素敵なものになったと職員の方からもご連絡をいただきました。
僕は、tomoさんを作家さんだと思っています。一般的に作家というと、ものやことを物理的に創る人を指すように思いますし、時に作品以上に作家のキャラクターが立つこともあります。それに比べれば、tomoさんのやられていることは、幾らかの作家さんの作品を取りまとめて、ご自身の作品にされているように感じ、とても面白い創作だなと思っています。実際、tomoさんは、完成した作品になるまで手を加えていった方々を非常にリスペクトされていて、同時にご自身のキャラクターを後退させてもいます。けれどtomoさんが俯瞰しながらものの完成に至る羅針盤にならなければ、こうした作品は存在しないことになり、そうした点でこれはtomoさんの作品なんだなと僕は、至極納得しているんですね。
僕は、抽象表現主義以降のアートシーンやデザインについて、最近少し距離を置いています。というのは、作品の自立性について、そこに纏い付くようなコンセプトや作家性が逆説的に作品の強度を弱めているように感じるからです。かつてたとえ作家不在であっても、民藝や道具というものは、機能に即して削ぎ落とされた「そうでしかないかたち」を実現していて、作家の個人的な思惑や、それがあざとさとなって立ち現れることから最も遠い位置に、最善のものとして立ち現れているように思うのです。
tomoさんの作品を見ていると、作品について自由であるとともに手と手を介する道具のようなものとして作品を眺めていらっしゃるように思えて、そこがなんとも心地いいと思うのです。
人が往来し、人と人が物理的に関われるような日常に戻ったならば、手と手を結ぶきっかけとして、こうした「もの」たちが触媒となってくれるのではないかと思っています。僕は、そんなそう遠くない将来を願っています。