『八束はじめインタビュー 建築的思想の遍歴』(鹿島出版会) 感想文

年明けすぐだったと記憶していますが、城西国際大学で助教をされている金子祐介さんから『八束はじめインタビュー 建築的思想の遍歴』(鹿島出版会)という本をご恵贈いただきました。金子さんは、多くの建築家や作家へのインタビューや聞き取りを行われていて、今回氏の大学院時代の恩師であり、日本を代表する建築家でもある八束はじめさんにインタビューしたものをまとめたものが書籍化されました。

本書は、50年に及ぶ八束さんのまさに「建築的思想の遍歴」をまとめられたもので、東京大学の学生を経て磯崎新さんに師事された修行時代、独立して実作を重ねられた時期、芝浦工業大学に着任されてからの3部構成になっています。

思想的にも理論的にも知の最高峰に位置する八束さんの書籍ですから、さぞ難解なのではと心してかかったのですが、インタビューということもあってか一人の建築家であり理論家の瑞々しい生の発話が収められていて、一気に読み終えることができました。もちろんここに出てくる八束さんの多くのプロジェクトや思想や理論的詳細について僕自身明るくない部分も多く、また使用されている言葉などその意味を理解できないものもあったため、ニュアンスを体感するというレベルでの理解にとどまる箇所も数多くありました。しかし、一人の巨人がどのような人生を歩み、そこでどんな人と出会い、実作を作り、思考を展開してきたのかを俯瞰的に紐解いている良書でありました。

僕は、ここで書評を書くつもりはありませんし、拙い知識や思考からいっても感想文を書くにとどまりますが、本文を、今回本書をご恵贈くださった金子祐介さんへの謝辞に代えさせていただきます。

2022.01.21 金子さん「建築的思想の遍歴」-1.jpg

さて、恥ずかしながら僕はここで初めて知ったのですが、日本近代建築の巨匠である丹下健三さんからの系譜として、八束さんが特に大学の研究室で主に東京湾岸地区の都市的な提案をされていたことに驚きました。『10+1』など建築理論書を読んでいらっしゃる方には当然の事実だったのでしょうが、街場の建築家として身の丈の建築を「デザイン」する僕には、全く触れることのない世界のお話でした。八束さんの批判するところの、大きなヴィジョンなき後の個人的な嗜好にしか興味を持たない建築家の一人が僕だった訳です。

近代、近代的な思考としてのメタボリズムを継承するかたちで、もちろん1960年代ぐらいまでのメガプロジェクトをそのまま踏襲しているわけではありませんが、大文字の建築の終焉、近代の終わりとポストモダン状況の進行する世界で、都市をデザインすることによる一つの可能性としての都市の未来を描くということを、2000年以降も継続されていたことに僕は驚いたのでした。

 

よく近代的な「構造」を「ツリー」に喩えられますが、西欧形而上学的なトップダウンのピラミッドが崩れてしまってドロップし、平面的にそれぞれ価値の島宇宙になってしまったような状態、あるいはそれによる網目状のネットワークがポストモダンなわけです。近代的な巨大な建築的、都市的プロジェクトというのは、政治性や経済性を規範としてまさにトップダウン、ツリー状の構造なわけですし、故にポストモダン状況下でそのようなヴィジョンを多くの建築家は長らく描こうともしなかったのです。しかし本書を読んで思ったことは、価値が相対化されて近代的なヴィジョンもその中の一つの可能性であると考える方が自然であること、ポストモダン状況が進行しているとはいっても、例えば企業組織や学校など、近代的な「構造」がなくなってしまったわけではないと考える方が腑に落ちるということです。

 

昨年、東京オリンピックの開会式をテレビで観ていて、こんな大舞台であっても大きな物語を紡ぐことが叶わないのだと少々寂しく思ったことを思い出し、しかし本書を読んで、国家やグローバルなスケールで都市が物理的にアップデートしていく様を改めてイメージしてみるとそれはそれでとてもワクワクするなあとも考えたのでした。経済成長期であったから夢物語を語れるということが言われたりしますが、ヴィジョンがあることによる社会や経済との相補性ということの方が本当かもしれませんね。

 

物語というワードが出たので、蛇足を申し上げます。本書は、八束さんの半生が一方向のベクトルとして語られています。一方でこれを包摂するように、冒頭の金子さんの問い『「建築」の通史、建築史界の思想的な状況の動向の俯瞰を試みる』への回収による一つの円環を作ろうとする目論見の書でもあります。本書が個人のインタビューによるものであり、近代的な思考そのものが相対化された価値の一つに回収されてしまうことからも、そのような強固な円環を描くことが本書のみで成立するとは僕は思えないのですが、それでも八束さんが何をされたのかということに関して、それは建築思想の一つの価値でしょうし、少なくとも僕たちに見たことのない未来の風景をイメージさせてくれるものであることは事実です。また、金子さんは、八束さんに限らず多くの建築家、クリエーターにやはりインタビューをしていて、これを文字に興されていますので、その膨大な量のストックが同時代的な、あるいはもう少し長いスパンでの建築的な思想の動向を俯瞰してくれるのかもしれません。

 

この入れ子状の物語の構造については、スタジオジブリの『千と千尋の神隠し』が、千尋の実生活の一方向の時間軸に対して、神の世界での「行って帰ってくる」という円環の「物語」がこれに包摂されるということを思い出して、本書はこれの反転だな、などと一人楽しんでもいましたが、これは本当に蛇足です。