『小田原文化財団 江之浦測候所』の『「時間」と「空間」の0(ゼロ)地点』

こんにちは。

8月6日、小雨がぱらつきそうな、それでも時折薄陽が射す曇天の日、僕は神奈川県小田原市にある『小田原文化財団 江之浦測候所』を訪れました。

『江之浦測候所』は、写真家であり、古美術商であり、現代アーティストでもある杉本博司さんがご自身で設立された小田原文化財団とともに2017年に一般公開した庭園です。相模湾を臨む、元々蜜柑畑であった山の斜面にギャラリー棟、屋外舞台、茶室などの建築の他、杉本氏ご自身のアート作品、古美術品などが配されたランドスケープであり、庭園の体裁をとっているものの総体として一つのアート作品のようでもあります。

僕は、『江之浦測候所』に展示されている多くの収蔵物に感銘を受けるとともに、『江之浦測候所』自体のアートのあり方そのものに衝撃を受けました。『江之浦測候所』については、多くの人たちがSNSなどでも発信、紹介されていますので、今回僕は、個人的な視点による『小田原文化財団 江之浦測候所』の読解を試みてみたいと思います。

キーワードは、「時間」と「空間」です。読解するに当たって杉本博司氏の写真作品である『劇場シリーズ』、古美術商でもあった杉本博司氏の『収集』を手がかりにして、『江之浦測候所』の『「時間」と「空間」の0(ゼロ)地点』を炙りだせれば良いなあと思っています。

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『劇場シリーズ』は、杉本博司氏が50年にわたって取り組まれているモノクロームの写真のシリーズです。8×10インチのフィルムを使用した大判カメラによって、劇場で上映される映画を幕が開いてから閉幕までシャッターを開けたままにすることで丸ごと一本写真に収めたものになります。

映画一本を写真に収めるという行為は、つまり蓄積された「時間」の収集になります。この写真には、映画一本が全て収められています。しかし写真に写っているのは、長時間露光によって白飛びしたスクリーンです。またこのシリーズは、様々な劇場で撮影され、撮影された時期もバラバラです。つまり時間の蓄積を収集するということが、少なくとも写真に記録された時点で時間そのものを0(ゼロ)回帰してしまうとともに、場所性についても相対化してしまうのです。

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ここでスーザン・ソンタグ著『写真論』(近藤耕人・訳、晶文社、1979年)を一部参考にしながら「写真」について補足しておきます。

写真は、代用所有物であり、消費物でもあります。写真は、世界の断片を獲得することを可能にし、複製を広く流通させることができます。写真は、記憶の外付けハードディスクになり得ます。また写真は、情報として獲得することができます。写真は、世界の断片の表面を記録しますが、記録されたものは現実ではなく、現実についての一つの見方であり、それは人の目で捉えたものとは異なる故に視覚における新しいリアリティを獲得します。写真は、世界の断片を相対化して陳列します。そして写真は、過去の一定時間しか記録できないので、常に視覚に遅れて定着されます。それは記憶の曖昧性を誘導的に拭い去ります。

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次に『収集』について。

収集する理由は、様々です。それ故収集されるものたちも収集の理由に応じて多岐にわたります。それらの来歴とそれがあった場所についても多様ですが、収集という行為は、収集されるものたちのそれまでの「時間(来歴)」と「空間(存在していた場所)」をも表象として収集します。しかし同時に収集というフレーム化によって、収集されるものたちは収集という全体を構成するピースとしても機能することになるのです。つまりは、収集されるものたちは、各々独自の「時間(来歴)」と「空間(存在していた場所)」を有していながら、同時に収集のフレーム化によって相対化され、時間と空間を0(ゼロ)回帰してもいるのです。

これは、収集による「リセット」や「初期化」ではありません。それらがやり直しやデフォルトを意味するのに対し、収集されるものたちは、時間と空間について一方で蓄積され、他方で同一時間、同一空間に包摂されるという0(ゼロ)回帰の二重性を孕んでいるのです。それは時間と場所におけるパラレルな関係を有していることになります。

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『江之浦測候所』のギャラリー棟は、夏至と冬至の日の出の位置に軸線をとって計画されています。時間は一方向に流れ、人は、自然は、万物は歳を重ねます。しかし宇宙の摂理から人の時間を捉えるならばそれは限りなく0に等しく、また地球の自転と公転によって一年という時間で太陽の軌道は0(ゼロ)回帰するのです。これも時間と空間の二重性を表象しています。『江之浦測候所』とは、これを構成する収集されたものたち、自然、ここを訪れる人々がそれぞれ固有の「時間」と「空間」を有していながら、一方で収集というフレーム化、あるいは宇宙の摂理によって「時間」と「空間」について0(ゼロ)地点へ向かう場所なのです。

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『江之浦測候所』に立つとき、眼前に広がる相模湾の水平線の向こうにある黄泉の国との交信を想起します。それは宇宙の秩序と人の生の交差を思い馳せる場所なのだと、そのように思うのです。

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