岡村ミユさんの2回目の個展『TRACE』とお譲りいただいたもの2

こんにちは。

前回のブログで、絵を描かれている作家の岡村ミユさんの個展と岡村さんの作品について触れました。

僕は最初岡村さんの絵を拝見した時、モチーフの捉え方の面白さに惹かれました。力強く抽象化された線が紙の上を大らかに走る様が楽しかったですし、同時に対象の中心性は、どこかイコンのような聖性を帯びてもいました。いつの頃からか、彼女がモチーフを感じ、見えたように「trace」している絵は、彼女自身を「trace」しているものだと思うようになりました。それは彼女自身の過去であり人生であり、思考であり感情や感性であって、また、彼女がイメージしている彼女自身でもあるように思います。それは、自身の何かを削りながら創作に変えるというのではなくて、彼女自身を「trace」して分身をつくってそれに魂を込めるような作業です。人形を作って魂を吹き込み、身代わりとする、という感覚にも近いかも知れません。見方を変えれば、それらは、作り手を護るシールドとしても機能し、つまりは「お守り」なんだと思うのです。

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今回の個展で、僕は一枚の小さな絵をお譲り頂きました。

その絵は、逆光に映る何か「もの」を描かれたもので、手前に影が伸びているように見えます。多分そうなのですが、僕は手に小さなものを握っているようにも見えて岡村さんにお尋ねしました。

「これは何を描いたんですか?」

岡村さんは

「何かを描いたんですが。」

とおっしゃられました。

僕はこの絵を気に入りました。モチーフはもはや絵を描く動機に過ぎず、見えているものがその実態、というか本質を示すものでもないような絵。

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僕は、岡村さんの絵をお譲りいただく際に、ちょっとした覚悟をします。岡村さんの絵は、彼女の分身であり彼女自身を守るものでもありますから、鑑賞者であり、所有者である僕を守る絵でもあるためには、僕は岡村さんの一端を引き受けなくてはならないように思うのです。それは多分、僕が岡村さんという人間を「承認」するということに他なりません。他者性の獲得において、同化とかシンクロというのは、大袈裟にして嘘くさいなと思います。

承認についての矛盾とは、人は「私を認めなさい」と主張しながら「あなたは気持ち悪い」ということです。しかし「私」を認めてもらうのには初めに他者の他者性を受け入れる以外に方法がないのです。

この他者性を獲得する儀式としての「岡村さんを承認する」という約束こそが、岡村さんの絵を僕の絵として初めて所有することを許されることになるのです。

岡村さんの個展の翌週、僕の事務所で設計監理したマンションリノベーションの内覧会を開催しました。その際に岡村さんはわざわざ小田原からお譲りいただいた絵を持ってきてくださいました。その日は、岡村さんと夕食をご一緒し、岡村さんの絵のことなど色々なお話を伺うことができました。岡村さんにはこの場をお借りしてお礼申し上げます。

また、小田原で工房を持たれている「gunung」さんの自転車の廃チューブから作られたカードケースも頂戴しました。重ねてお礼を申し上げるとともに、こちらも大切に使わせていただきます。

お譲りいただいた絵は、今まだどこに飾ろうかと思案中です。ゆっくり気に入った場所を見つけたいと思いますし、その過程も楽しみたいと思っています。

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