東京都立墨田工業高校での年に3回だけの授業

こんにちは。

この前の休日に、ひとり近所の映画館へ新海誠監督の『すずめの戸締まり』を観に行ってきました。圧倒的な映像美と秀逸なストーリーテリング、テーマの掘り下げに舌を巻いたのですが、どこかでこの映画を観ている僕自身を客観視している僕が拭えなくて、作品世界に没入するには至りませんでした。登場人物が背負う背景の薄さなのかロードムービー故のストーリーの散漫さなのかストレートすぎる感情表現なのか、それとも僕の体調の問題かもしれません。もう一度観てみて、また時間が経つと感想も変わってくるのかなと思いながらこの作品を僕の中で熟成させたいと思っています。

さて、タイトルにも書きましたが、ご縁あって数年前から東京都立墨田工業高校で年に3回だけ授業を受け持っています。どんな授業かと言いますと「夢のマイルーム」という課題が学校で設定されていて、これを生徒さんたちがA3用紙に自由に表現したものを僕が講評するというものです。課題は、全くの自由で、生徒さん自身が住むことを前提にした夢の家、理想の部屋を図面やパース、スケッチなどを用いて表現するというものです。僕は、作品の良いところを見つけて評価するというルールが決まっている中で、生徒さんの作品を一つずつ講評していきます。課題もこのルールも同校のご担当の先生が決められたもので、学生だけでなく僕もこのルールに従って講評をするのです。

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それぞれ作品は、どれも楽しげで奇想天外なものも多いです。家の中に自然を持ち込んだり、無重力の部屋や宇宙や海底にある家、世界中に散らばった家をどこでもドアで繋ぐなど。一方で理想の家を授業で培った製図力を用いて丹念に描く人もいて、非常にバラエティに富んだ作品を拝見するのをいつもとても楽しみにしています。

工業高校の生徒さんは、日頃実務的な建築の勉強をしているので、こうした自由に自分の考えやイメージしたものを表現しなさいという課題には慣れておらず、最初は戸惑うことも多いそうです。仕上げた作品についても、他者に伝えるものを表現することが難しく、思うように作画出来なかったりして、みんな最初は少し自信なさげに発表をするのも印象的です。それでも僕もそれぞれの作品意図をできるだけ読み取ってその作品の持つポテンシャルを引き出してあげると、生徒さんの表情も晴れやかに変わります。僕が関わるのはわずかな時間ですが、10代の子供達にとって細やかでも一つの成功体験を持つことは、とても大切なものであると思っています。同校の先生もこうした意図で課題を作られ、また学生の作品制作に寄り添われておられ、僕も非常に感銘を受けています。

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この授業のテーマの一つに作品の良い部分を見つけるというのがあるので、僕もそれに従って講評をします。その際、僕は作品自体にしか言及しないということ、それから作者の努力や思考や表現については触れますが、決して作者のセンスや才能について褒めることはしないというこの2点について注意を払っています。

確かイギリスでの研究だったと記憶していますが、子供達を2つのグループに分けてテストをさせて80点だったと子供達に個別に伝えて褒めます。一方のグループではその子の才能を褒め、他方では努力を褒めます。才能を褒め続けられた子達は、自分には才能があると慢心して努力を怠り、実際の点数を隠したり虚偽の報告をしたりするようになるというのです。

褒めるというのは自己肯定感を養うためにもとても大事なことだと思います。ですが、褒め方次第で人を生かすことも殺すこともあるのです。僕も人を教えるプロの端くれとして、教わる人たちをまずは全て肯定して、ここまで考えが及ぶようになったね、こんなに表現ができるようになったね、より良くなるにはこういうことを考えてみてはどうだろう、こういうテクニックを覚えるともっと表現力が上がるねという具合に一つ一つの努力の積み重ねが結果に表れるように指導しています。これは大学でも高校でも同じです。一見牛歩の如くゆっくりとした成長を見守るようではありますが、それでも何かを習得する方法として結局は最短の道程であると思うのです。

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僕は、子供達に習得すべきスキルを身につけさせたり、本来的な意味での才能をジャンプさせることが仕事だと思っていますので、それをすることができて初めて教える者としての価値もあるのだと考えています。最後に、僕は、教わる人たちが萎縮しない授業を心がけていて、授業内での私語を受け入れています。集中し続けることの困難さよりもダラダラと授業時間をいっぱいに使って学びを継続するために学生同士で教え合ったり、手を動かしながら他愛のないコソコソ話をする方が良い結果につながるのです。また、僕が重要なことを話す場合でも、学生の何割かは必ず聞き逃します。聞き逃すことを前提にして何度も話し、最終的には個人的にコメントするようにすることで、最終的に全員が理解するということもしています。

昔だったら教わる側に対して教える側の優位性があり、職人の世界などでは見て覚えろというような風潮もありましたが、もちろんそれはそれで成立していた社会だったり、技の継承があるのも事実だと思いますが、少なくとも僕の場合は仕事として、限られた時間の中で最短で目標地点に学ぶ者を導く必要があるため、このようなやり方をしているんですね。昨今、若い人は教わろうとしないとかチャレンジしたがらないとかいう意見を聞くこともありますが、本当にそうかどうかはわかりませんし、仮に昔と比べてそうだったとして時代と共に学び方や教え方も変わってきたのであれば、後任を育てていくためにも教える側も思考をシフトする必要があるように思うのです。

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東京都立墨田工業高校での年3回だけの授業を毎年僕はとても楽しみにしています。ピュアな感性と希望に満ちた生徒さん達は、未来の僕らの財産です。彼らに素晴らしい未来が訪れることを祈っています。

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