2023年をどう過ごすか -一年の抱負と展望-

「あけましておめでとうございます」というには遅すぎる新年のご挨拶となってしましました。

もう2月。僕の事務所でも新しいプロジェクトが始動し、年始に打ち合わせがあったり、建築写真の撮影もあり、バタバタと日々を過ごしていたらあっという間に今年もひと月経ってしまいました。世界情勢の不安定感とそれによる少なからず僕達の生活にまで影響を与えている現状について明るい一年の始まりというわけにはいきませんが、それでも皆様にとって、僕にとって良い年であってほしいと願うばかりです。

先日朝日新聞の「天声人語」に、スマホやタブレットによるパーソナルな娯楽の普及によるテレビの衰退が書かれていて、テレビを囲んでの一家団欒の風景を懐かしむというように締めくくられていました。これについて僕は、「まあそうだよね」と思う反面「そうだっけ」と『家族ゲーム』という1983年に公開された松田優作主演の映画を思い出してもいました。『家族ゲーム』は、元々本間洋平作の小説で、後に長渕剛主演のドラマにもなっています。同作品は、ある家族の元に破天荒な家庭教師がやってきたことによって炙り出される家族幻想の解体を描いたものです。

映画『家族ゲーム』に、家族がテーブルの片側に並んで食事を摂るワンシーンがあります。カメラは、家族をテーブル越しに捉え、その食事シーンをワンカットで映すのですが、これは明らかに家族の視線の先にあるのがテレビであり、テレビという外の世界を映し出す窓に対して家族一人ひとりがパーソナルに関係を持っているという状況を描いています。今から40年も前の映画ですが、そこにはすでに家族という幻想の解体があり、家族幻想を共有することの困難さえ描かれているのです。

僕達は、現在(いま)との比較において、過去を懐かしんだり、懐古的な憧憬を抱いたりします。しかしそれは、概ね記憶の改ざんによって捏造されたもので、そうした過去も現在進行形に時代の変化の只中に位置し、何かを失いながら何か新たなものを享受していたに過ぎないように思うのです。僕は、ここで昔を懐かしむことに否定的なわけではなく、事実に対して記憶というのは非常に曖昧なものだということを再度認識したということです。

人は自分に都合の良いように認識したり、そうなるように事実を捻じ曲げたりする(これも認知バイアスによるところが大きいかもしれません)動物ですが、それは時に日常的にも、大きなフレームを持ち出すならば歴史修正主義など混乱や対立を生む要因にもなりうるのです。そんなことをぼんやりと考えながら、トラブルの種に触れないようにする僕にできる方法があるならば、それはできるだけ一次テキストに立ちかえることしかないように思うのでした。

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さて、すでに2月も中盤ではありますが、新年最初のブログですので、今年一年を僕はどんなふうに過ごしたいか、抱負を書いてみたいと思います。

まず私生活ですが、ひょんなことから小学一年生の息子がアイスホッケーを始めました。きっかけは息子の同級生がアイスホッケーをやっていて、その子に誘われて練習に顔を出しているうちに本格的に始めることになったというものです。僕も週一回、息子の送迎にアイスリンクへ通うことになりました。息子の練習をただ見ているのもつまらないので、僕もアイスホッケー用のシューズを購入してまずは一般滑走からスケートを練習することにしました。まさに五十の手習ですが、全くの初心者、氷上に立つことも困難だった僕が、どこまで上達できるか楽しみです。

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続いて仕事ですが、昨年末に設計契約をした住宅が動き出しました。お若いご夫婦とお子さんのための住宅です。昨今の材料価格高騰のためコストバランスを読めない状況ではありますが、設計としてできることを検討し、設計の初期段階からタイトに設計調整を進めていきたいと思っています。現在基本設計中、僕が木造住宅で培ってきた設計スキルを全て投入し、良いものにしたいと思っています。

建築写真の撮影も今年も継続します。今までは、自身の写真スキルの向上のため、お金を頂きながら学んでいるという意識がありました。ですからご依頼いただいた方のご予算や撮影条件にできるだけ応えようとやってきました。しかし僕の中で客観的に見ても建築写真家として一端になってきたのではないかと思えるようになり、そもそも撮影料もお安く設定していますので、やった仕事に対してきちんとお金をいただこうと思っています。過剰なサービスが僕のモチベーションを下げるということもありますが、僕も五十歳を過ぎぼんやりとですが人生の終焉を意識するようになりました。僕自身に与えられた有限な時間を無駄遣いしたくないと思うようになり、同じように僕の労働やスキルを安売りしないことを心がけるようにします。

「ギバー(Giver)(与える人)」、「テイカー(Taker)(受け取る人、奪う人)」という分類でいえば、僕はどちらかといえばGiverだと思います。ですが僕は、こと仕事に関して僕のスキル、労働、時間と等価交換できる報酬をいただくことでプロでありたいと考えるようになりました。

その他これはできたら良いなあと思っている程度ですが、二つほど。一つは長文を書くことで、新書で5万字程度ならそれぐらいの文章を書いてみたいなと考えています。当面書籍化というようなことを想定してはいないのですが、ある程度のボリュームのまとまった文章を意識しています。もう一つは絵を描くことです。このブログにも度々登場している画家の岡村ミユさんの影響が大きいのですが、そういえば僕はデッサンやスケッチを描いてきたけれど、「絵」(それは僕にとっての僕が考える「絵」ですが)を描いたことがあっただろうかと疑問に感じるようになりました。どんな絵をどんなふうに描くか今のところ全くのノープランですが、どんな絵を描きたいんだろう、描けば良いんだろうと想像するのもワクワクします。

さて、今年の抱負を書き連ねてみました。もちろん実現できることばかりではありません。しかし、こんなふうにブログに書いておくとなんとなく決意表明にもなりますし、退路を断つという意味でも良いことかもしれません。ただ、目標に振り回されて足元が見えなくなってもいけませんし、時間の流れに身を委ねることが良い結果をもたらすこともあるでしょう。そんな感じで焦らず腐らず、けれど日々僕自身をアップデートするのだと気持ち新たに2023年をおくりたいと思っています。