2014年1月18日土曜日、武蔵野美術大学建築学科の卒業制作講評会が行われました。
これは、専任の先生方、非常勤講師が一同にそろって、卒業制作全作品について採点を行い、受賞者を決定するというものです。
午前中に審査員による全作品についての入点が行われ、上位上限12名が選考されます。午後、選ばれた学生によるプレゼンテーション、質疑応答、審査員によるディスカッションを経て各賞が決まります。
ここでは、こうした選考を経験して僕が考えたことを記しておきたいと思います。それは、選考基準だとか、各作品についての評価コメントだとかではなくて、もう少し抽象度の高い思考、多くの学生作品から見えてきたものについて論じてみたいということです。
全作品を見終えて僕は、いくらかの、否多くの作品について、共通部分を見いだしました。
この共通部分、ことばにするなら「包摂」性といえるかな、と思っています。
ディスカッションの際に、僕は「社会的包摂」という言葉を使用したので、他の審査員の方に誤解を受けたとも思っています。「社会的包摂」というと、対義語は「社会的排除」になり、平たくいえば「社会につつみこむこと」で、大仰にいえば「国民ひとりひとりを社会の構成員にとりこむこと」、ソーシャル・インクルージョンになります。
現代の社会状況について、社会学等で頻繁に言われていることに、「相対化と再帰化」が上げられます。思想的には、1960年代初頭のレヴィ・ストロースからはじまる構造主義について、近代形而上学的な思考が解体されていきます。深層へと糸をたぐっていけば、その最深部には真理がある、逆にいえば、真理を頂点としてトップダウンによるツリー状に構造化されている世界、が解体されていくものです。建築においては、アレグザンダーの「都市はツリーではない」が発表されたのが、1965年のことです。
日本では、戦後、都市化、団地化、郊外化という過程を経ることで、村落共同体が解体され、家族幻想が失効していきます。オウム真理教が地下鉄サリン事件を引き起こし、新世紀エヴァンゲリオンの放映がはじまったのが、1995年のことです。共同体の解体=相対化は、一方で自由な個人を生みますが、他方で精神の依拠する場所を失いもします。精神の拠り所を求めて、極端な共同体をつくりあげたのがオウム真理教で、つながることが出来ないならば引きこもる、というのが新世紀エヴァンゲリオンになります。
青島幸雄が東京都知事として都市博中止を決定したのも1995年です。これ以降建築界では、行政による箱もの建築への批判が集中し、「建築」することが罪悪であるという申し訳なさを伴いながら「建築」するという自己矛盾的状況が出来上がりもしました。箱もの建築が、近代的コミュニティを規範として建築されることに、相対化した世界が追い越していく過程ともいえます。
相対化していく世界は、同時に再帰性を伴います。共同体が解体されることで、新たな、あるいは懐古的に共同体幻想が立ち現れていくこと。例えば、日本の均質化した郊外環境の強化、経済至上主義的なカリスマの台頭、ナショナリズムの再燃は、解体されていく状況の外側をフレーム化していく作業です。1984年の劇場版アニメ「うる星やつら2ビューティフル・ドリーマー」における高橋留美子の母系承認的世界観、つまり「何をやっても許される、でも私の見ている範囲において」という状況が、この国では進行しているように思います。
それは当然、父なるものの喪失を意味してもいます。
学生の建築作品に話を戻しましょう。数年前まで、「家型」とよばれる矩勾配に近い切妻屋根と、のっぺりとした外壁、そこにあけられた小さな窓というスタイルが学生作品でも頻繁に見られました。これは、最小の共同体であるアイコンとしての家を幼い子どもが描く「家型」であり、つまり家族幻想の解体に対する再帰的な共同体のシンボル化を意味しています。
また、藤森照信が名付けた「分離派」と呼ばれる、個人化したユニットの交換可能性において、持続可能な社会をつくるといった作品等は、相対化していく世界をダイレクトに扱ったものといえるでしょう。
しかし、今年の武蔵野美術大学建築学科の卒業制作では、そうしたぐいの作品をほとんど見ることがありませんでした。
むしろ顕著に表れたものとして、「包摂」なるものをどのように実現していくか、という作品を多く見ることになります。
過疎化した地方の農村に、地元の方々の協力をいただきながら寝泊まりし、彼らの土地を借用して実際の建築物を造った作品。お寺の密集地域のため、これに隣接した住居街区が防災危険区域に指定されている場所を取り上げ、お寺の敷地境界について建築的解決を図ることで、お寺を開きながら防災危険区域指定を解いていく作品。特別養護老人ホームと幼稚園のコンプレックス。と殺処分される動物に対する、保健所建築のあり方の提示。商業地域と住居地域の結節点を緩やかに分節し、また結ぶ建築。etc.
ここでは、建築が社会性を常に担いながら、しかし、より個人的な、身体的な感覚から「個人の依拠する新しいつながり方の模索」がはじまっているのではないか、と僕は感じています。たとえ学生がそのことを自覚していなかったとしても、です。それは、相対化と再帰性の果てに生まれる、個人でありながらつながり、包まれる「包摂」の萌芽のようなものに思います。
僕は、彼ら学生の作品をいくぶん深読みしているのかもしれません。そしてそれは、学生への過度の期待からくる幻想であるかもしれません。しかし、もし仮にそのような評価に値する「芽」のようなものが存在していて、けれどそこに学生も審査員も誰も気付かないのであれば、そうした思考は、存在しないことになります。
たとえ、僕が誤読と誤訳をしていたとしても、やはり発信しなければならないということです。「包摂」のありかたを建築的なプログラムに落とし込む術について、困難でも考えていかざるを得ないように思うので。
最後に、ある先生が、「美」というものも包摂の対象として、考えられるのではないか、とおっしゃられていました。そのようなことを考えもしなかったので、その真意までお聞きする時間がなかったものの、これについては改めて考えてみたいと思います。
kuro*2
初めまして、ムサビの建築科を二年前に卒業したものです。
在学中は大変お世話になりました。
今回の記事を興味深く読ませていただきました。
審査員の目から見て、各学年ごとに、今年の「包摂」のような傾向はあると感じますでしょうか。
もし傾向があるとお考えになるなら、2年前はどのような言葉が当てはまるでしょうか?
突然のコメントで大変恐縮ですが、お答えいただけたら幸いです。
koizumikazuhito
kuro2さま、コメントくださり、ありがとうございます。
今回、このようなブログを書いたのは、私自身の考えの整理のためでもあります。
2時間程度で書いたものですので、言葉の厳密性や、文章とそれらの構成について、分かりにくい部分もおありかと思いますが、メモとお考えいただき、お許しください。
まず、「包摂」ですが、なかなかよいことばが見つからず、とりあえず使用しているものです。もう少し建築的なことばを使用するならば、『使用者が(その建築に、またはそれによる環境に対して)自立的に発せられる「拠り所(よすが)」としての建築的プログラム、あるいは出現する実体空間。』とでも言えるでしょうか。
これは、コミュニティとか、社会性を担う、というよりも、より土地に根ざしていて、周辺環境のコンテクストを読み込んで、そして個人的(身体的)に立ち現れる、より具体的なつながりと関わりと、共同体的包摂のかたちを意図して書いております。
私たちは、個人に還元されながら、さまざまなレベルで共同体の幻想を失ってきています。しかし、建築において、なかなかこのことば、あるいはかたちにしづらいものをプログラムとして規定し得ていない、つまり、建築は、近代的な言語において今でも語られている部分が多いのではないか、ということへの疑問でもあります。
これは、同時に見る側の問題でもあります。見る側にそうした思考が無いとすれば、当然語られることもないまま終わってもしまいます。私は、今回の講評会で、まだ自身でも不確定でぼんやりとしてまとまらないではおりましたが、そうした目を持って臨んでみようと考えてもみたわけです。
ですので、この「包摂」というようなキーワードのように、毎年なにかしらの括りを持ち得るかというと、これは、はなはだ疑問でもあります。
私自身が、毎年同じ目を持ち得ているわけでなく、常に変化しているからです。ですから、同じ目を持って、2年前の作品をみていれば、学生作品のいくらかに同じような傾向を見いだしていたかもしれません。
私は、各年代ごとの括りというよりも、なにかしらがゆっくりと変化していっているのは、感じるところです。
2年前というと、東北大震災の影響を色濃く反映した作品が、いくらかありましたね。しかし、これが今回私が申し上げた「包摂」と同じかというと、これについては分かりません。
また、2年前は、空間創造の思考実験のような作品も見られました。
しかし、このような言語的な括りは、あまり意味を持たないと思っています。
これは、私自身の問題ですが、学生の作品から発信されている何かしら、たとえそれが弱くてはかなくて、ことばにならないものであっても、これを出来るだけ汲み取れるような多様でフラットな視点と、知識と思考をもちえることについて、訓練し続ける他無いと思っているのです。