家族の在り方を建築は、どう捉えるか -モンタージュ2を再訪して-

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2018年1月15日、雲の切れ間から時折陽の光が顔をのぞかせる、そんな冬の凛とした空気の月曜日に、僕たちは、HOUZZさんの取材で千葉県東金市にある「モンタージュ2」という住宅を訪れました。僕たちが設計監理して2015年に完成した、母娘が暮らす小さなお家です。

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職場の定年退職を機に築40年の古屋を建て替えたいとお施主からお話をいただいたのが、この計画の始まりでした。古屋の奥には築200年の大きな旧家があり、そこにお施主のお母様と弟さんが住まわれていたのですが、お母様も90歳を目前にして娘さんと同居したいという理由から、母娘の二人暮らしをする住宅を新築することになりました。

このお家の計画概要については、僕たちの事務所のホームページをご覧いただけたらと思います。

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ここでは、60代の娘さんと90代のお母様がお二人で暮らされるという、「家族」という単位とその在り方について考えてみようと思います。

「家族幻想の解体」というのは、もう随分前から言われていることのように思いますが、かつてこの国では村落共同体が機能していて、ここに包摂されるかたちで家族という単位が存在していました。そうした共同体は、高度経済成長を機に解体されていきます。つまり人の都市部への流入とこれによる核家族化です。社会を形成していた、あるいは社会と繋がりを持っていた村が解体され、家族は両親と子供という小さな単位を構成しながら社会と直接的に関係を結ぶようになります。これが進行していくと、さらに家族という幻想も解体され、剥き出しの個人、身体がダイレクトに社会と接続することになります。こうした変化は、バブル期から90年代には形成されたと考えられますが、2000年代以降、個人という最小単位から新たな集合、家族の在り方は再度模索され、多様化したかたちで「新しい家族」がつくられていきます。晩婚化、婚姻率や出生率の低下や、ジェンダーフリーなんかの考え方も関係していると思われますが、かつて血縁によって構成されていた大家族や核家族とは異なる、様々な家族の形態が生まれてきてきたように思います。

このことについては、以前ブログでも記していますので、より詳しく知りたい方は、こちらとか、こちらなど参照ください。書籍としては、小熊英二著『社会を変えるには(講談社現代新書 2012)』や宮台真司著『日本の難点(幻冬舎新書 2009)』、東浩紀著『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会(講談社現代新書 2001年)』が参考になるかと思います。

さて、そうした「家族」の在り方の多様性を考えるとき、建築を取り巻く環境は、思考の部分でも実践でもまだまだ遅れていると言っていいでしょう。

昨今の建築を考えてみると、意匠性、素材、機能性に特化して、これらを通じて同時代性の獲得や、環境的配慮などが盛んであると考えられますし、そうしたこと自体、価値の相対化に伴う意匠の同時代的流行という意味での更新の早さ、つまりファッション化する建築的なデザインを除けば、容れ物としての建築を向上していこうという考え方に、異論はありません。

では、何が一体遅れているのか。それは、多様化する個人、家族の在り方に対応する建築的プログラムです。「構造」と言ってもいいかもしれませんし、建築を最初に規定するフレームのようなものと言えばいいでしょうか。

このお家を例に挙げると、母娘は、自立した大人であり、同時に相互に生活を依存してもいます。個人の自立という点で空間的プライバシーの確保が必要ですが、同時にお互いの気配を感じながら、何かあればすぐに相手に近づける環境でなくてもならないのです。また、この家の建つ環境は、村落共同体がまだ生きていて、近隣のお家の方々との精神的距離が近いということもあります。ご近所同士で、お互いの健康状態を気遣い、家で採れたものを交換し合う習慣があり、時には拡大した家族とでもいうように村の催事に関わります。

この家は、はじめに近隣の方々を招き入れる土間があり、その奥に母娘が暮らす公共性の高いリビングダイニングが位置しています。リビングダイニングは、大きな廊下のようでもあり、ここを中心に周辺部に二人の個室、水周り、インナーテラス、飼い猫のためのテラスがぐるりと取り囲みます。リビングと周辺の部屋は、ガラスの框戸で仕切られており、開け放ってワンルーム化することも、またブラインドを下ろして、よりプライバシーを強化することも可能です。物理的、動線上一番奥にある個室に入ると、一周回って外部と接続して、個人のレベルで近隣と繋がりもします。

こうした操作は、設計の初期計画で検討され、間取りに落とし込まれて実現に至るものですが、こうしたプランニングのつくりかたを僕たちは、プログラムと言っています。

建築的プログラムは、その建築を使用する人や家族の構成、年齢、家族間の距離、生活習慣や環境などで、都度異なります。なぜなら、上述した通り価値は個人のレベルまで解体して相対化され、「家族」の在り方は多様化が進んでいるからです。

そう考えると、如何なる意匠であっても、プランを考える時、ハウスメーカー型のn+LDKしか選択肢がないというのは、本当はおかしなことなのではないでしょうか。磯崎新は、かつてどのような住宅でも結局のところn+LDKになってしまうと言っていましたが、これはトポロジカルな考え方によるもので、階層を変えて形式性という意味におけるn+LDKというのは、実は多様なバリエーションを持つべきだと思います。むしろ形骸化したn+LDKで溢れているからこそ、建築家は、あるいは建築メディアは、こうした住まい手毎に対応した建築的プログラムを実践する必要があるのではないでしょうか。

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さてさて、当の取材はといいますと、大変素敵な時間があっという間に終わってしまったという感じです。お施主もお施主のお母様も大変お元気でいらっしゃいました。美味しい和菓子とお施主が淹れてくださったお抹茶に舌鼓を打ち、工事の頃のことや日々の生活、趣味のお話など、楽しい話は尽きませんでした。お土産に、僕たちのためにわざわざ蒸してくださったおこわもいただきました。それから僕の大好物のお母様が煎ってくれた落花生まで。

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飼われている猫ちゃんも、現場に行っていた頃はまだ2歳でしたが、それから2年が経ち、ふた回りほど大きくなったでしょうか。その頃から僕にだけ「シャーっ」と威嚇をしていたんですが、今回も案の定の塩対応を頂戴しました。猫ちゃんの僕に対する威嚇を見る度にお母様が大喜びされるんですが、その笑顔を拝見できてなんだか嬉しい気持ちになりました。

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この場をお借りして、御礼申し上げます。お二人ともこれからもずっとお元気でいらしてくださいね。

この取材の記事がアップされるのは、2月に入ってからということです。東京からわざわざお越しいただいたライターの安西さん、どうもありがとうございました。

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