「日々」と一致するもの

2017年3月10日、山梨県中央市の住宅が完成し、無事施主ご家族様にお引き渡しすることが出来ました。各検査後の是正、補修工事も完了し、お引き渡しの1週間前には、お施主さんのご厚意により完成見学会も開催いたしました。

ご自宅を開放してくださったお施主さんご夫婦、また、基本設計段階から設計をサポートしてくださり、完成度の高い施工をしていただいた工務店さんに改めてお礼申し上げます。

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さやわか著『文学の読み方』(星海社新書)が、2016年9月に出版されて、これを読み終えた僕は、今ワクワクが暴走しています。

テン年代半ばになって、やっとこうした批評書が出たことに強いシンパシーを感じるとともに、僕がずっとモヤモヤしている問題について、文学という領域の話ではあるけれど、スカッと気持ちをはらしてくれたと感じているからです。

さやわかさん、最高だねってことで、今回は文学について、思うところを記述してみようと思っています。

言葉についてのエトセトラ

言葉を「使う」というのは、とても難しいことですね。

厳密であろうとどれほど言葉を駆使しても、100%の他者への伝達は叶わないわけで、それでも言葉を使わなければ、コミュニケーションもままならないんですよね。

言葉は、プリミティブな情報伝達の手段であるとともにコミュニケーションの道具でもあるわけです。言葉と言ってもパロール(話し言葉)とエクリチュール(書き言葉)に大別されるわけですが、古来ヨーロッパや中東などでは、エクリチュールに優先してパロールこそが真でもあったようです。例えばイスラム教のコーランなんて口頭伝承ですし。

まあ、そうしたうんちくはさておき、最近言葉について思ったことを少しばかり記述してみたいと思います。

千葉里山の住宅2 -モンタージュ2-

12月17日水曜日晴れ、僕と事務所のボスのふたりは、千葉の外海に面した小さな街、大原駅に降り立ちました。千葉里山の住宅の、鉄骨と板金の打ち合わせのためです。

今回現場を仕切る監督さんは、僕たちの事務所のコンバージョンの現場管理もしてくれた仲佐さん、監督であり、大工さんでもあります。仲佐さんは大原のご出身で現在もこの街に事務所を構えています。それに鉄骨屋さんも板金屋さんも勝浦の方、ならば大原で打ち合わせといきましょうとなった訳です。

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ボクらはなにを選んだ?

ブログタイトルの「ボクらはなにを選んだ?」は、ASIAN KUNG-FU GENERATIONに敬意を表して、彼らのアルバム「ランドマーク」に収録されている「1980」の歌詞の一節、「右の手にペンを持って僕らは何を選んだ?」から決定しています。