2016年1月16日土曜日、武蔵野美術大学建築学科では、卒業制作作品の公開審査が行なわれました。これは、教授他非常勤講師を含む総勢30名を超える審査員により審議され、一日をかけて金賞、銀賞、銅賞、奨励賞の各賞を決定するものです。
僕も公開審査に参加したのですが、ここでは私見による作品講評をするのではなくて、学生の作品をテキストとして私自身の批評のアップデートを試みたいと考えています。
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ブログタイトルの「ボクらはなにを選んだ?」は、ASIAN KUNG-FU GENERATIONに敬意を表して、彼らのアルバム「ランドマーク」に収録されている「1980」の歌詞の一節、「右の手にペンを持って 僕らは何を選んだ?」から決定しています。 ここでは、僕が生業としている建築と日常の仕事ではおさまりきらないデザイン、アート、サブカルチャー、思想等について日々思うことを、横断的に書いていければと思っています。
2016年1月16日土曜日、武蔵野美術大学建築学科では、卒業制作作品の公開審査が行なわれました。これは、教授他非常勤講師を含む総勢30名を超える審査員により審議され、一日をかけて金賞、銀賞、銅賞、奨励賞の各賞を決定するものです。
僕も公開審査に参加したのですが、ここでは私見による作品講評をするのではなくて、学生の作品をテキストとして私自身の批評のアップデートを試みたいと考えています。
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少し間が空いてしまいましたが、「建築は歴史を内包し、それを日常に現在させている」事実、「死者たちの不滅性の中に身を置くことの重要性」を紐解くための第三回になります。
前回までは、建築と「引用」、あるいは建築における「引用」についてポストモダン建築の成り立ちと視覚言語における引用、その伝播の過程について記述してきました。
今回は、ポストモダン建築の視覚言語からこぼれ落ちた言語体系に踏み込みます。
それはポストモダンの平行(パラレル)言語であり、死者たちの不滅性に身を置きつつ、もうひとつの未来への接続の方法ともなり得るものと確信しています。
師走ですね。僕の事務所もバタバタと気ぜわしい毎日を送っています。
さて、11月の末に、横浜の日吉で工事をしていたマンションのリノベーションが完成しました。
今回は、水廻りを一切いじらず、3LDKの間取りのリビング・ダイニングとこれに続く和室、その裏手の寝室をぶち抜いて、一室にしています。
伸びやかなワンルームは、造作収納家具で仕切られていて、公的な場と私的な空間のインターフェイスも自由自在になっています。
造作家具は、全てラワンの突き板で仕上げられていて、品の良いものです。また、これを間仕切りとしながら置き家具として設計しているため、ワンルームの気積を損なうことなく、緊張感を与えるものにもなっています。
アクセントは壁のモルタル仕上げ。工業製品による仕上げではなく、人の手の跡を残したシャープですが暖かみのあるものになりました。
床は、コルクタイルで仕上げられています。マンションの規約で音に対する決まりが厳しい中選択したものですが、足触りも良く、落ち着いたダークブラウンがシックな印象を与えます。
また、玄関脇の個室は、仕様をそのままに棚を造作して、美しい収納に囲まれた書斎になりました。奥さまのヨガのマットや旅行の鞄なども目一杯入りますし、旦那さんの大量のアナログレコードがこの棚に並ぶのは素敵ですね。
寝室からウォークインクローゼットを通り抜けて書斎に至る工夫もしました。機能的であるとともに、行き止まりのない動線計画は、楽しくもあります。
それでは竣工写真を掲載しますね。
家は、経年劣化しますし、家族の生活スタイルや子どもの成長、家族構成の変化など、当初の間取りでは対応しづらくなることが多いと思います。マンションでもこんなに生活環境を変えられるんだと思っていただけましたら幸いです。
秋らしい季節になりました。朝夕は、寒いぐらいですね。
僕も油断したのか風邪気味で、なんだか体がだるいです。季節の変わり目、皆さんどうぞご自愛くださいませ。
さてさて、今回は、9月から始まった日吉のマンションリノベーションについて、レポートします。
お施主さんとは、僕たちがまだ横浜の大倉山で事務所をやっていた頃からのお知り合いで、当時事業物件のお話をいただいて少しお手伝いしていました。その計画は実現しなかったのですが、その後もお付き合いは続き、今回お施主さんのご自宅を改修させていただくことになった訳です。
ご自宅は、3LDKの見晴らしのいい素敵なマンションです。お施主さんはご夫婦で住まわれていて、とにかく多趣味。旦那さんは、車をいじるのが好きで、また膨大な量のレコードを収集しています。奥さんは、バレエやフランス語を習われたり、海外旅行をされたりととてもアクティブ。多趣味故にお持ちのものも多いため、少し部屋が手狭になっていらしたようです。
今回は、水廻りはいじらずに各部屋の仕切りを取っ払って、ワンルーム+趣味室というおおらかなプランに改修します。
まだ工事の途中ではありますが、造作家具も入り、概ね空間の気積が見えてきましたので一度ここでUPしておこうと思います。
前回のブログの続きになります。
前回は、『建築と日常 No.3-4合併号 特集:現在する歴史』を読んで、建築と「引用」、あるいは建築における「引用」について掘り下げた記述を試みるため、その序章として近代建築からポストモダン建築への移行について書きました。
「建築は歴史を内包し、それを日常に現在させている」事実、「死者たちの不滅性の中に身を置くことの重要性」を紐解くための第二回。今回は、ポストモダン建築の視覚言語、そこからこぼれ落ちたパラレルな言語的解釈にまで踏み込むために、「今、ここ」を語るのみの世界の状況について、データベース消費を用いてポストモダン状況の進行する世界を記します。
僕らの設計した最も新しい住宅が完成し、『モンタージュ2』と名付けました。この母娘の住む千葉里山の住宅について、「引用」というテーマで設計の根拠を記述したのですが、これについて僕の出身大学の尊敬する大先輩からコメントをいただきました。それは、『建築と日常 No.3-4合併号 特集:現在する歴史』を読んで、建築と「引用」、あるいは建築における「引用」について掘り下げてみてはどうかというものでした。
というわけで、今回は、このことについて書いてみたいと思います。
いつものように思考のスイッチを切り替えるのに、文体を変えて書きます。
千葉里山の住宅『モンタージュ2』も無事お引き渡しが終わり、お施主さんから快適に住まわれているとの素敵なご連絡を頂戴しました。
10月中に職場の同期会、道の駅買物ツアー、温泉旅行会、飲んべえの会等々様々なお友達が新居をご訪問されるのだとか。お施主さんが楽しんで住まわれているご様子がうかがえて、設計者冥利につきます。
さてさて、僕らも一息ついてぼーっと美しいお月さまでも見ていたい気分なのですが、なんだかんだとありまして、近況をまとめきらないままブログ更新です。
千葉里山の住宅も工事が完了し、作品名称も『モンタージュ2』と正式に決定しました。
僕もホッとして気が抜けたのか、何となく集中を欠いた毎日をここのところおくっていますが、
そんな中、立て続けに二つほどのメディアで弊方設計の住宅が紹介されました。
千葉里山の住宅が完成し、外構工事も概ね終わりを迎えました。
最後に、この住宅の成り立ちについて書こうと思います。
当然建築を設計し、施工する過程で一貫したコンセプトがこれを背骨のように貫くこと、そうした思考の徹底こそが建築をつくる上での醍醐味だと思っているわけですが、ここでは単純にコンセプトを述べるというよりももう少し深度を下げて、「引用」という側面を用いてこの可愛らしくささやかな住宅を紐解いていきたいと考えています。
以下、思考のスイッチを切り替えるために、文体を変えて表記しますことをお許しください。