近代と呼ばれる時代が解体されていく経緯について、東浩紀、宮台真司、小熊英二を参照しました。
ここではその後の時代、つまり今現在僕たちが生きるこの世界の「モデル」について、やはり東浩紀著『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会(講談社現代新書 2001)』を参照しながら考えたいと思います。
その前に、クリストファー・アレグザンダーの論文、『都市はツリーではない(1965年)』について触れておきます。
ブログタイトルの「ボクらはなにを選んだ?」は、ASIAN KUNG-FU GENERATIONに敬意を表して、彼らのアルバム「ランドマーク」に収録されている「1980」の歌詞の一節、「右の手にペンを持って 僕らは何を選んだ?」から決定しています。 ここでは、僕が生業としている建築と日常の仕事ではおさまりきらないデザイン、アート、サブカルチャー、思想等について日々思うことを、横断的に書いていければと思っています。
近代と呼ばれる時代が解体されていく経緯について、東浩紀、宮台真司、小熊英二を参照しました。
ここではその後の時代、つまり今現在僕たちが生きるこの世界の「モデル」について、やはり東浩紀著『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会(講談社現代新書 2001)』を参照しながら考えたいと思います。
その前に、クリストファー・アレグザンダーの論文、『都市はツリーではない(1965年)』について触れておきます。
2013年3月2日、土曜日、晴れ、武蔵野美術大学建築学科スケッチ会のメンバーと藤沢まで行ってきました。
ここ藤沢では、『アントニン・レーモンド 遠藤新 展』が開催されており、同校OBで建築家の前田忠厚さんがこの展覧会の実行委員長をされています。前田さんから同校講師の小倉康正さん、小林敦さんに連絡が入り、藤沢でのスケッチ会の実現に至りました。
小倉さん、小林さんは、このスケッチ会の主催者です。
2013年3月3日ひな祭りの日に、原宿のDESIGN・FESTA・GALLERYで開催中の『'ケンチクカ'のおもちゃ箱』展に行ってきました。
湘南美術学院建築科に在籍していた、現在はそれぞれの大学で建築を学ぶ9名の学生のグループ展です。
'ケンチクカ'のおもちゃ箱 展
「湘南美術学院・建築科で学んだ9名それぞれに進んだ道の先で考える
'ケンチクカ'にできること/ケンチクを通して今 思うこと」
ブログの本筋からまだずれていきます。
前回ブログでTVドラマを紹介した際、タイトルの後にストーリーを一言で表しました。
『北の国から』(1981)家族が北海道でサヴァイブするドラマ ←ここです!
これを考えるのがすごく面白かったのでご紹介します。
ふたつ前の日記『ではなぜ「大きな物語」は機能不全を起こしたのか」で、1970年代から現在までの社会状況の変異について触れました。
書いていて気づいたのですが、この変異の過程を1970年以降のTVドラマにプロットして通史をつくると、よく理解できると思います。
こんな感じです。
『日本ではその(大きな物語の)弱体化は、高度経済成長と「政治の季節」が終わり、石油ショックと連合赤軍事件を経た七〇年代に加速した。』
(以上『動物化するポストモダン』より引用)
東浩紀は、「単一の大きな社会的規範が有効性を失い、無数の小さな規範の林立に取って替わられるというその過程」を上記し、また思想史レベルでもこの過程について触れています。
「十八世紀末より二十世紀半ばまで、近代国家では、成員をひとつにまとめあげるためのさまざまなシステムが整備され、その働きを前提として社会が運営されてきた。そのシステムはたとえば、思想的には人間や理性の理念として、政治的には国民国家や革命のイデオロギーとして、経済的には生産の優位として現れてきた。」
(以上『動物化するポストモダン』より引用)
東浩紀は、この単一の社会規範、こうしたシステムの総称を「大きな物語」と言っています。
ツリーモデルとは、「大きな物語」を円滑に機能させるためのトップダウン状の樹形の体系といえます。
モデルとは、ものごとを説明するための枠組みです。