こんにちは。

今年の夏は、茹だるような暑さですね。あんまり暑いので、お風呂で湯船に浸からなかったり、クーラーでキンキンに体を冷やしたりしていたら、熱がこもって発熱してしまいました。毛布をかぶって一晩寝たら体温も正常に戻りましたが、熱中症も怖いですが冷房病にも気をつけなくてはなりませんね。暑さと上手に付き合いながら、夏を乗り切りましょう。

ここ数日のことですが、ひとつ嬉しいことがありました。

息子がやっているアイスホッケーのチームに、某プロ球団の広報として写真を撮られているフォトグラファーの親御さんがいらっしゃることが判明し、ちょうど練習風景を撮影されていたのを見つけてお声がけしました。プロの写真家にいきなり声がけするのも緊張しましたが、とても気さくなお父さんで、矢継ぎ早の僕の質問にも嫌な顔一つされず、丁寧にお付き合いくださいました。僕も写真家の端くれではありますが、建築写真という静物撮影専門の人間であるため、スポーツなどの動体撮影に関しては、ズブの素人です。YouTubeや本で勉強したり、見よう見まねで撮影しておりましたが、やはりしっくりこなかったりおさえどころが分からないこともちらほら。そんな疑問点について、とても丁寧に教えてくださいました。どうもありがとうございました。

そんなスポーツ写真家のお父さん、撮影ポーズも決まっていて、一脚でカメラ固定してフリーになった左手でレンズの上部を掴むようにズーム操作される姿がカッコよかったです。僕もこんなふうに撮ってみたいなと思い、早速一脚と雲台をネット購入しました。お父さんが使われていた一脚は、当然のようにGITZOのものでしたが、僕はちょっとケチって国内製のものを買いました。一旦はGITZOの一脚に手を出しそうになりましたが、いやいや趣味でアイスホッケーの練習風景を撮影するのに使うだけなんだからと考え直しました。それでも一応プロ仕様のカーボン製を選ぶのは、プロ写真家の端っこでうごめいている者のこれ以上引けない線、というか妥協できない見栄なのか。

さて今回は、現在千葉市美術館で開催されている企画展『三沢厚彦 ANIMALS/Multi-dimensions』へ行ってきましたので、簡単ではありますがそれについてのレポートをお届けしたいと思います。

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こんにちは。

2ヶ月前のことになります。5月の半ばにレストランバー『RETRO』の完成写真を撮影しに千葉県流山市、おおたかの森まで行ってきました。

おおたかの森は、つくばエクスプレス「流山おおたかの森」駅を中心に作られた完全人工郊外型街区です。大型ショッピングモールなどの商業施設と高層マンションがコンパクトに計画されており、都心への乗り入れも便利なため、現在話題の街になっています。

2003年から開発の始まった非常に若い街ですが、住民の定住率も高く、『流山がすごい』(大西康之著 新潮新書)などの効果もあり、現在進行形で話題の街になっています。

街を歩いていると、現在も建設中の建築が多くあり、また洒落た飲食店などの店舗が点在しています。レストランバー『RETRO』も街の中心街から少し離れた閑静な場所の比較的新しいビルの中に入っています。食とお酒をカジュアルながらも少しだけお洒落して楽しみたい、店内も日常から離れたハイデザインの中にどこか居心地の良さを感じる、そんな作りになっていました。

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2023年『紫陽花』写景

こんにちは。

久しぶりのブログになってしまいました。現在進行中の住宅の実施設計のボリュームが大きく、他のことに割く時間もなかったのですが、最近少し視野が狭くなっていたかなと反省もしつつ、心に余裕を持って日々を過ごしたいものです。

少し前まで科学的根拠のないエセ科学なんかが流行っていたなという印象があります。エセ科学とまでは言わないまでも、現在も教育本なんかでは、子育てをしただけの経験値のみで子育てや教育を語っているもので溢れてもいますね。そんな中最近は、認知科学や脳科学なんかが流行のようで、これらはもちろん科学的な根拠に裏付けられていますので、信頼度の高いソースになります。ことを成すのに10000時間の修練が必要だという「10000時間の法則」や「才能でなく努力をほめよ」など、これについて書かれた書籍は、ベストセラーになっています。

こうした啓発本や教育図書では「エビデンス」が規範にあります。「エビデンス」とは、簡単にいえば根拠とか証拠です。もちろんこうした情報は、エビデンスに裏付けされたものですので信頼に足るものなのですが、ところがこれらの再現実験では、その半数以上が失敗に終わっているんだそうです。例えば「10000時間の法則」の場合、データベースはヴァイオリニストだそうですが、他の分野における再現実験をしたところ「10000時間の法則」を立証できないということなんだそうです。

「エビデンス」で注意すべきは、「ある特定の条件下で」ということを前提にすべき点です。「10000時間の法則」の場合、例えば運や人間関係や環境などに左右される技能の習得や成功については、この通りにならないことを示しています。

つまり僕たちは、科学的根拠を持つ情報、かつキャッチーで聞き心地の良いものについて、ついつい思考停止してその全てを受け入れてしまいますが、むしろ何かを思考するための材料の一つぐらいに思っておけばいいように思います。何事も囚われすぎてはダメで、適度に距離を置きながら俯瞰しつつ、知識の一つぐらいに受け入れるのが良いのではないでしょうか。

さて、6月の半ばに紫陽花をいくらか撮影してきましたので、ここでお披露目したいと思います。

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こんにちは。

ゴールデンウィークも終わり、僕の事務所も今日から通常運転となりました。今年も東京造形大学の授業が始まり、週に一度八王子まで通っています。昨年末から始まった住宅の設計も実施図面を描く段階に入り、また建築写真の撮影のご依頼も幾らかいただいており、忙しい日々を送っています。

先日、銀座にある東京国際フォーラムの設計で有名なラファエル・ヴィニオリの事務所から、東京国際フォーラムの撮影をしてもらえないかとのご依頼をいただきました。生憎スケジュール的にタイトであることと、僕がこの規模の建築を撮影したことがなく、施設利用の賑わいも含めての建築写真ということでしたので、周到な準備が必要と感じたためやむなく辞退させていただきました。僕自身のスキルアップのためにも受けるべきだったかと悔やむ気持ちがないわけではありませんが、撮影するからには最良のものを提供すべきですし、そのための準備を整えられないならば受けるべきではないと判断した次第です。しかし、こんな千葉で細々と建築写真を撮っている写真家に、どういう経緯でアメリカの有名事務所から依頼が来るのでしょうか。それが不思議でなりません。

そんな中、休日は今年から正式に始めた息子のアイスホッケーの送迎をしていて、段々僕自身も環境に慣れてきました。ここ最近は、練習試合や江戸川チャレンジカップという公式の試合も経験して、どんどんアイスホッケーの魅力にのめり込んでいます。

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こんにちは。

3月の半ばに、千葉県船橋市の設計事務所「PONTO DESIGN」の新井ゆかりさんが設計監理されたマンションリノベーション『丘の上の家』の完成写真の撮影に伺って参りました。

『丘の上の家』は、「PONTO DESIGN」の事務所でありショールームとしても使用される新井さんのご自宅です。新井さんは、自然素材系の工務店や都内の設計事務所勤務を経て独立された建築家で、千葉県をホームグラウンドにして設計活動を行っています。

撮影当日はお天気にも恵まれ、設計者のご自宅ならではの住まい方の提案がプランに反映された素敵な住戸計画を拝見してきました。

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2023年 『桜』写景

こんにちは。

先日映画『シン・仮面ライダー』を鑑賞してきました。『シン・仮面ライダー』は、石ノ森章太郎原作の特撮ヒーロー『仮面ライダー』庵野秀明が脚本・監督を手がけたリブート作品です。リブートというのは、フィクションにおけるオリジナル作品の連続性を捨てて新たに創作することです。

『シン・仮面ライダー』については、賛否両論、良いと悪いが真っ二つに割れる評価がされているようですが、僕は観ていて終始ワクワクすることができました。庵野秀明監督の原作へのリスペクトやその作品への投影は凄まじいものがあり、そもそもカルト組織の怪人たちを仮面ライダーが素手で倒していくというシンプルかつストーリーらしいものも存在しないオリジナル作品をよくぞここまでアップデートすることができたものだと感心しました。同時に、特に原作の石ノ森章太郎作品に通底する空気感、孤独を纏う世界観がそのままトレースされていて、石ノ森章太郎作品独特の読後感を味わうことができました。

同作品に対する賛否両論というのも、そもそも映画に何を期待しているのか、また何をもって映画といえるのかということが関係していると思います。僕は、映画に限らず創造されたものには個々の作品が纏う空気というか匂いというかオーラのようなものが存在していて、鑑賞者の同調性というものがあるにしても、それでも作品の持つオーラが圧倒的であることこそ重要であると思っています。作品は、俯瞰的に全体を見ながら同時にディティールの積み重ねで作られます。鑑賞者は、ディティールを丹念に追うことで全体を見てもいるのですが、ディティールに評価軸を据えると全体像が見えなくなってもしまうのです。如何様な作品評価をするにせよ、僕も木一本一本を追いながら、それによってかたちづくられた森をしっかり見る訓練を怠らないようにしたいと思います。

このあたりの作品批評については、『シン・仮面ライダー』をテキストに丁寧にブログに書いてみたいとも思いますが、こうした思考にまつわる論考は、膨大なエネルギーと時間を必要とするため、今後僕に余裕があったら書きたいと思います。

さて、話はガラリと変わりますが、桜の季節です。今年も仕事の合間に短時間ではありますが桜の花を撮影してきましたので、ここに掲載したいと思います。僕にとっての毎年の恒例行事となっています。

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こんにちは。

3月に入り気温も上がり、春らしくなってきました。梅の花、河津桜が咲き、これから様々な花が咲き乱れる季節を迎えます。冬の間じっと溜め込んでいた生命の活力を一気に解放するようで清々しく思います。

一方で今年は花粉の量が多く、花粉症のひどい方も多いようです。幸い僕は花粉症ではないのですが、それでも鼻や目がむず痒くなるほどです。この時期は、洗車してもすぐに車は汚れますし、自律神経の不調を訴える方も多いのではないでしょうか。僕も春先は、毎年気分が鬱々としたりざわついたりして少なからず苦しい季節でもあります。春は、自身を取り巻く環境がガラリと変わる時期でもありますから、変化に対するストレスも起因しているようですね。

これは僕の個人的な妄想なのですが、花々が一斉に咲くように、春を迎えるというのは膨大なエネルギーを要することではないでしょうか。命あるものは、自身の内部にある活力を自然界に放出して分け与えることで春という巨大なエネルギーを生み出しているのではないかと思ってしまいます。僕は、漫画『ドラゴンボール』で孫悟空が「オラに元気をくれ!」という元気玉を思い出して、人間を含む自然界のあらゆる生命が悟空に元気を少しずつ分け与える様を想像して、「春ってこんな感じなのでは」と一人でニヤニヤしています。僕の生気を春に奪われているんじゃ無いかと。

さて今回は、一級建築士事務所やしろ設計室八代国彦さんが設計監理した『吉川美南の家』を撮影しましたので、この住宅の完成写真を掲載します。

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こんにちは。

まだまだ寒い日が続いていますが、それでも朝晩の冷え込みが少しずつ和らいでいるのを感じます。陽もずいぶん長くなり、時折漂う風の匂いに春の訪れを感じる今日この頃です。

僕の家の、庭の梅の花も先週から満開です。小ぶりのぷっくりした花びらと繊細なおしべの伸びた可愛らしい造形がエッジの効いた枝ぶりと対照的で絵になりますね。河津桜も咲き始めたようで、いよいよ本格的な春の到来を告げているようです。

さて前回のブログでは、「一級建築士事務所なかおデザイン室」中尾さんが設計監理された『桜町の家』を完成写真でご紹介しました。今回も引き続き同住宅のスナップ写真を幾らか掲載したいと思います。

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こんにちは。

2月も後半に入り一年で最も寒さ厳しい季節ではありますが、昨夜は雷鳴を聞き、遠からぬ春の訪れを感じてもいます。

僕の事務所では、作品発表を考えている住宅の設計が始まり、現在建主さんと共に基本設計を進めています。コロナ禍や円安の影響もあり、建築資材の価格高騰が止まらず設計者も施工者もコスト管理ができない状況の中で、建主さんのご希望にできるだけ添いながらも無駄な要素を省いてタイトに設計することに頭を悩ませる日々です。しかし、僕の事務所にお願いされる建主さんの多くは、機能スペックと同じように建築のデザインや空間要素といった付加価値の部分を求められてご依頼くださるので、そうしたものを削らないようにしてバランスよく良いものにしていければと考えています。この他に横浜市の補助金事業の保育園計画を毎年2から3件やっていることもあり、忙しい日々を過ごしています。

前回のブログでも書きましたが、年明けから始めたスケートもだいぶ滑れるようになって、ストップやバックスケーティングなどに挑戦し始めました。スケートの面白いところは、氷上に乗るたびにスキルアップを実感できることです。一つ一つは小さくても新たなことにチャレンジして都度身体が覚えていく、アップデートしていくというのは、とてもポジティブな気持ちになれて楽しいですね。

さて、昨年末になりますが、千葉県で活躍されている「一級建築士事務所なかおデザイン室」中尾さんからお声がけいただき、氏の設計監理された神奈川県秦野市にある『桜町の家』の完成写真撮影に伺ってきました。

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「あけましておめでとうございます」というには遅すぎる新年のご挨拶となってしましました。

もう2月。僕の事務所でも新しいプロジェクトが始動し、年始に打ち合わせがあったり、建築写真の撮影もあり、バタバタと日々を過ごしていたらあっという間に今年もひと月経ってしまいました。世界情勢の不安定感とそれによる少なからず僕達の生活にまで影響を与えている現状について明るい一年の始まりというわけにはいきませんが、それでも皆様にとって、僕にとって良い年であってほしいと願うばかりです。

先日朝日新聞の「天声人語」に、スマホやタブレットによるパーソナルな娯楽の普及によるテレビの衰退が書かれていて、テレビを囲んでの一家団欒の風景を懐かしむというように締めくくられていました。これについて僕は、「まあそうだよね」と思う反面「そうだっけ」と『家族ゲーム』という1983年に公開された松田優作主演の映画を思い出してもいました。『家族ゲーム』は、元々本間洋平作の小説で、後に長渕剛主演のドラマにもなっています。同作品は、ある家族の元に破天荒な家庭教師がやってきたことによって炙り出される家族幻想の解体を描いたものです。

映画『家族ゲーム』に、家族がテーブルの片側に並んで食事を摂るワンシーンがあります。カメラは、家族をテーブル越しに捉え、その食事シーンをワンカットで映すのですが、これは明らかに家族の視線の先にあるのがテレビであり、テレビという外の世界を映し出す窓に対して家族一人ひとりがパーソナルに関係を持っているという状況を描いています。今から40年も前の映画ですが、そこにはすでに家族という幻想の解体があり、家族幻想を共有することの困難さえ描かれているのです。

僕達は、現在(いま)との比較において、過去を懐かしんだり、懐古的な憧憬を抱いたりします。しかしそれは、概ね記憶の改ざんによって捏造されたもので、そうした過去も現在進行形に時代の変化の只中に位置し、何かを失いながら何か新たなものを享受していたに過ぎないように思うのです。僕は、ここで昔を懐かしむことに否定的なわけではなく、事実に対して記憶というのは非常に曖昧なものだということを再度認識したということです。

人は自分に都合の良いように認識したり、そうなるように事実を捻じ曲げたりする(これも認知バイアスによるところが大きいかもしれません)動物ですが、それは時に日常的にも、大きなフレームを持ち出すならば歴史修正主義など混乱や対立を生む要因にもなりうるのです。そんなことをぼんやりと考えながら、トラブルの種に触れないようにする僕にできる方法があるならば、それはできるだけ一次テキストに立ちかえることしかないように思うのでした。

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